大学の文系はいらないか?

昨夜は都内で開催されたフォーラムに参加しました。

芳賀徹先生、益川敏英先生ともに、学問に対してきわめて謙虚で、そして「文系とか理系とか、分けられるものではない」という視点で語っていらっしゃいました。益川さんは、もちろん「理系」ですが、「マルクスヘーゲルは読んだ」「道をターゲットにする、知らないものを探す、予測を立てる、そのためには哲学が必要なのだ」と語られました。

文部科学省の考えていることの薄さと比較すると、違いがわかります。しかし、両氏ともとくに批判を強調するような論じ方をしません。この域にはなかなか達することはできないと思いますが。

会場からの「金融経済学を教えているが数式を使わないでくれと学生に言われる。どうしたらよいか」との質問があり、益川さんは「生物を習っていない医学生がいるという話を聞いたことがある(医学生は数学が得意で数学が得意なものには物理や化学のほうが得点を稼ぎやすい)」という話を紹介され、すぐに成果が求められる(競争的資金、中間報告を出させられる)ような研究者にゆとりがないこと、じっくり物事に没頭するような人を発掘できないような状況、の危うさのようなことについてお話しされました。

わたしたち地方の教育行政に携わるものとしても、現代の教育の画一化、本当の意味でのゆとりのなさや点数を稼げる強化への偏重など、課題については共通するものがあると思います。文部科学行政を変えるためには産業界の要請なども含めて一省庁だけの問題にとどめず、問題意識の全体化を進めて日本の将来を支える本来の教育の在り方について真剣な議論を進めることこそ急がれるという感想を持ちました。
また、若い学生だけの問題ではなく、知性が軽んじられることのないように、この日の先生方のように深い教養を大切にする姿勢をこそ学ぶべきであろうという点を共有したいところです。

なお、いわゆる高校2年の時に文系を選択した私ではありますが、得意科目は数学と英語でした。とくに数学については一時期特化して学べと当時の先生に言われるくらいでして、文系科目はさして得意ではありませんでしたが、数学系で身を立てるつもりがないために文系を選択したのでした。以来、物事を考える際にも科学的に数学的に考える癖は変わらず、そしてそれは役に立ってもおります。フォーラムで先生が「データ解析→実験→データ解析」という作業を時間をかけて行う例などにも触れていらっしゃいましたが、そうした思考方法などは文系人間も訓練して損はないと思います。


フォーラム内容
■第222回「J.I.フォーラム」今こそ文系学部の強化を

 文部科学省が唱えている「文系学部不要論」は、学問、科学技術の本来の在り方に反するものです。
 科学技術振興をすればするほど、その役割や成果について考えることが重要になります。
 イノベーションは何のためか、経済成長は本当に私たちや世界を幸せにするかなどを考えることこそが文系の学問の役割でしょう。
 現在の日本の大学の文系学部の多くが古色蒼然とし、この要請に十分応えられていないことも事実です。しかし、そのことと不要論は全く別のことでしょう。
 文系学問の本来の意義、役割について整理し、現在の文系学部に欠けているもの、強化すべきことなどについて議論したいと思います。


日時 2016/03/23(水) 18:30〜20:30(18:00開場)
場所 アルカディア市ヶ谷 6F 伊吹 
 
主催 構想日本

ゲスト
芳賀 徹 (静岡県立美術館 館長、元京都造形芸術大学 学長)
益川 敏英 (京都大学 名誉教授、京都産業大学益川塾 塾頭、ノーベル物理学賞受賞者)   
コーディネーター : 加藤 秀樹(構想日本代表)