父、逝く

14日。80歳でした。

造船不況で失職し、わたしの少年時代は小笠原の父島に出稼ぎをしていました。

その後、電気工事の、いわゆる三次下請け?くらいの工事を長年やっていました。電気の仕事は切れることながないため、生活を維持するのには十分だったようです。

わたしの大学時代に、脳梗塞。でも、リハビリを経てずいぶん回復して同様の仕事に就きました。

いずれにしても、職種が職種のせいかいわゆる補償がなくて、家族は苦労をしたものです。

6年ほど前に2度目の脳梗塞、ひとりぐらしをさせられず(母はすでに他界していた)厚木に。縁のない地域で晩年、というのは気の毒ではありました。でも幸い孫娘をかわいがり、そのせいで病状も回復したように思えます。

父、のこと、ここでも何度か医療のことと絡めて書きとめたと思いますが、そういう意味では私にとっては貴重な経験をさせていただきました。問題点もずいぶん知ることが出来ました。直接的にその解決はまだ先の話になるのは明白ですが、つまり父にとっての具体的なプラスには結びつかなかったのですが、政治を生業にしている自分にとっては今後の宿題、というものです。


お世話になった地域の皆様、父の最期は苦しまず安らかに逝きました。ありがとうございました。すでに他界している母親と同様の、遺志により献体をしました。