4年目

FB投稿より。

約1時間前くらいに、ようやく終わりました。議会基本条例の条文づくり、文言を考えるのは結構大変。

一般質問7人終わり、追加提出議案の提案の後で。

きょうは3.11。 議会の質問時に震災のことに触れる議員は多かったですが、それぞれの立ち位置が、それぞれに違いがあり。原発事故、放射能汚染問題をはっきり言えない人が多いのが残念、国政の反映だろうけれど。

今季で退職の福祉部長には質問が多く集まりました。多くの制約がある中で、独特の個性で仕事をしてきたことには評価も高かったのではないでしょうか。上、にはどう思われたのかは微妙かもしれません。

予定通りの黙とう、も行いました。今年はきちんと代表者会議でその趣旨を確認して実施しましたが、去年は事務局によると2日前に通知が来たとかで、本会議でもなく委員会ということもあり、委員長にゆだねた、という経過だったそうです。だから記憶になかったんだ。

昼休みの時間には、報道機関による市議選に向けた写真撮影がありました。名前が書かれた紙を胸あたりにかかげて、正面写真。容疑者のやつみたいでした。いやー一日長かった。明日は委員会審査。




かつてのブログ(記録として役に立ってます)よりずいぶん説教じみてますが、毎回書いていますなあ。

2014年3月11日
震災及び原発事故から3年を経過して、忘れ去られようとしていることを嘆く、あるいはたしなめる論調を耳にしますが、そのときばかりその論調を正義のごとく振りかざすことほど偽善的なものはないと思ってしまいます。己を顧みよと。

 幸いにして、私どもの職業はつねに税金がどう使われているかなどを気にしなければならない商売であるがゆえに、政治問題は日常で、忘れる暇がありません。オリンピックに浮かれているのが信じられないと私は思うわけで、でも復興のためにとか何とか云いながらお祭り騒ぎの様相ではないか、よろしいんでしょうかこの日本、というふつふつとした思いを持つのです。

2013年3月11日
 東日本大震災、2年を経過して日本の政治の変わらなかった点を総括してみると、問題は何も複雑ではないことに気付かないでしょうか。一部にはやたらと複雑な問題だと誇張というか、想像しているように見受けられる説があり、私は困惑しています。

 問題は、困っている人本位ではない政治。

 あの時から、そこは何か変わったといえるのでしょうか。

 そのことに自信を持って答えることができないごまかしを、政治が繰り返している。人々(おもに被災者)は、そのことに気が付きながら今、現実を甘受しているのではないでしょうか。期待していいのか期待してはいけないのか。

2012年3月11日
366日が経過したに過ぎない。隠蔽されまくる「史実」、節目を政権が語る資格があろうか?

昨日、あつぎ環境市民の会が、多くの協力の力を得て、鎌仲ひとみ監督をお招きしての「ミツバチの羽音と地球の回転」を上映、文化会館小ホールをほぼ満杯にしました。

仕事に疲れた友人を、「確実に寝そうだ」と言うのを3分でもと誘い、結局「寝なかった」、と言わしめた企画は成功だったと私は思いました。隣の大ホールでの横内大使が「映画館のない街の映画祭」を、すなわち旧パルコビル問題に触れたかどうか私の頭の片隅でもやもやしながらも、文化は戦いと共に育まれるべしとの持論に固執して小ホールにとどまる私は正解だった。

 よしよし、なのであります。