前東海村村長・ 脱原発をめざす首長会議・世話人、村上達也氏の一文

今日は、構想日本のメルマガ購読をしている私が、ぜひ紹介をしたい文章と出会ったので、以下に紹介します。(執筆者と管理者の承諾を得てのご案内です。J.I.メールニュース No.662 2014.07.10発行、より。メルマガは、発行 : 構想日本、発行責任者 : 加藤秀樹、info@kosonippon.org )
 長文ですが、全文を転載します。なお、この文章は前述のとおり許可を得ての転載ですので、ご利用の際はnaranigiru@yahoo.co.jpまで、ご一報ください。
 

【1】<巻頭寄稿文>

「 原発 ―この国の危うさを憂う― 」
   
    前東海村村長  脱原発をめざす首長会議・世話人

  村上 達也
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福島原発事故はこの国の在りよう、国民の精神性を問うている。本来なら事故を受けて価値観の転換があってしかるべきだが、安倍政権の誕生以後、原発勢力が公然と復活し福島以前に戻ろうとしている。「倫理委員会」の結論を受けて脱原発に転換したドイツとの懸隔は大きい。この国の精神の貧困を思い、情けなく、悲しい。
 
5月20日、ここ東海村日本原子力発電(株)は東海第二原発の適性審査申請を規制委員会に提出した。「あの原電が?他の原発に先んじて!」私の率直な驚きである。東海第二原発は35年経過の老朽原発であり、3.11で被災した原発がである。その上、首都圏に最も近くあり30km圏内には100万人が住む。再稼動には最も遠いところにいる筈の原発が、遮二無二再稼動に邁進する、この姿勢は正直醜悪である。一旦事があればこの国は吹っ飛ぶ。そこまで言わなくとも、優に100万人以上に及ぶ避難者に、責任をとる覚悟あってのことか。国が丸ごとかかっても無理だ。福島15万人の避難者さえ救済できてないのだから。

原電の居丈高な姿勢は安倍政権のお陰。この政権は国民議論を経て纏めた民主党政権脱原発政策をボロ布の如く投げ捨て、全く原発事故以前に戻した。原子力を「重要なベースロード電源」とするエネルギー基本計画と『「世界一厳しい」規制基準に合格したものは着実に再稼動する』との安倍首相発言によるものである。強引な憲法解釈などと軌を一にした、無茶苦茶な国権主義的姿勢だ。これで原発勢力は俄然勢いを取り戻した。

なにが「世界一」なものか!欧米諸国で適用されているIAEA基準の「深層防護」※1の思想がなく、避難計画等緊急時対応の適否判断が規制基準に含まれていない。

首相は「世界一」とか「世界最優秀」という言葉が好きなようだが、戦前の「神国日本」「不敗の皇軍」が想起させられる何と空疎な言葉か。未だに事故原因の究明、事故の収束、避難者の前途も見えていない、そうした中で政府と原子力業界は戦前の軍部同様、国民の命を楯に己の利権保持に走っている。このままヒロシマナガサキの轍を踏むのか。もう一度甚大な原発事故を起さないと目覚めないのか、嫌悪、立腹ばかりか悲哀さえも覚える。

今の状況に私は、もんじゅ事故後とJCO臨界事故後の原子力業界の動きが想起させられる。両事故のあと信頼回復のためにと政府も業界もPA活動※2と称する住民対策、原子力安全神話」の宣伝に躍起となっていた。しかし、それは科学的精神の衰弱を齎し、自惚れと過信と夜郎自大意識の蔓延など自らを蝕んだだけだった。

JCO事故については「事故原因は規制を逸脱し、『バケツとヒシャク』で作業を行った不埒な会社の行為にある」というが如き皮相な総括を以てJCOをスケープゴートにし幕を引き(JCOは刑事告訴された)、原子力業界は官も民も自らが反省することはなかった。

私は衆議院科学技術委員会公聴会(’99,11,24)などで、「臨界事故は、原子力科学技術を保有、利用するに足る法整備がなく、組織体制もできていないところで起こった。これが事故の真の原因、社会的背景だ。」「原子力災害を想定した法律もなければ、規制組織は推進一辺倒の体制の中でお飾り程度に過ぎない。これを改め規制組織独立の原則に基づき推進と規制は組織分離すべきだ。」と言ってきた。

しかし政府、原子力業界はその後もIAEAなどからの勧告にも拘らず、お茶濁しの改革で済まし、その結果が福島原発事故に至った。JCO事故後新設された原子力安全・保安院は、結局推進官庁の経産省資源エネルギー庁内に止まり「原発推進が役目だ」と公言して憚らなかった。原子力業界は私に対し、二度の村長戦で「反原子力の村長」と烙印を押し、総力を挙げて戦いを挑んできた。原子力推進の象徴『東海村の村長』は、彼らの意中の者でなくてはならないのであった。

このような経緯から私は「JCO臨界事故からフクシマまでは一直線だ」と言ってきている。この国は原発のような巨大科学技術を手にする能力はあるだろう、だがそれを制御する社会的能力や文化をつくることに失敗してきた。福島原発事故を起した以上は、厳しいけれど、これを自認することが次への第一歩だと思う。成長戦略だ、産業競争力だ、集団的自衛権だという前に。

5月21日、福井地裁は大飯原発運転差し止め訴訟で経済的利益よりも「生存に関わる人格権」が優先するとする画期的な判決を下した。ドイツ「倫理委員会」に比肩しうる精神、論理だ。国民の命、個人の平和な生活よりも国威や国益優先の国権主義者には無理な注文かも知れないが、安倍首相は権力を弄ぶのを止め、国民の声を聞き、メルケル首相に倣い、脱原発を決断すべきである。福島原発事故は第二の敗戦とも言われる。今こそ日本国憲法の真髄をひも解き、道を正すべき時である。敗戦後に先輩達がしたように。

 ※1原子力施設の安全確保の考え方の一つ 第5層からなる防護レベル。日本は第1〜3層。IAEAなどの国際基準は第1〜5層。

 ※2(パブリック・アクセプタンス)原子力発電所・空港の建設など、周辺に社会的な影響を与える事柄について、住民の合意をえること。 

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村上 達也 (むらかみ たつや)

1943年茨城県東海村生まれ。1966年一橋大学卒業、常陽銀行入行。1997年東海村長に就任(2013年退任、4期)。元全国原子力発電所在地市町村協議会副会長(福島原発事故引責辞任)。現「脱原発をめざす首長会議」世話人。( http://mayors.npfree.jp/ ) 1999年JCO臨界事故遭遇、村長独断で住民避難を実施。事故後水俣市訪問、村政の基本を「開発・発展からの脱却、人と環境優先」に。2012年社会的、文化的価値重視の「サイエンスタウン構想」策定。