春めいて

 日本のあちらこちらで春一番が吹いた今日。厚木市議会では都市経済常任委員会が議案審査、予算を含む、を行っていました。私は一部インターネットで傍聴、その他小学校の清掃への参加、父親の入院先にて今後の相談、などに追われた一日でした。


PTA、厚生給食委員会の呼びかけによる小学校の清掃

 昨年度は、厚生給食委員になりました。給食は試食会の準備、がメインで、あとは花壇の手入れと年に何回かある清掃のしきり。そのさい、清掃の呼びかけに応じていただけるのが大変うれしかったので、今年度はその御礼の意味でもなるべく参加したいと思っていました。が、結局一年でこの日だけでした。年末は、左手第一指のけがのため、参加できなかったので。

 思えば、PTAに参加の意向を示した際、学校は過剰に反応しまして、校長と面談した折に、なぜPTA役員を引き受けるのか、真意は何か、底意はあるか、など探られました。暗に、なるべくなら引き受けないでほしいニュアンスでいたこと、当時は本当に不本意で情けなく思ったものです。いまでは、あれだけ警戒されたことは誇りに思ってもいいかもしれないとさえ思いますが。

 男親は、名誉職的な会長を務めればよく、学校の意向に沿うことだけが求められる。で、役員としての実行部隊は女親の役割、という固定化した考え方が、学校を支配しているのではないかと、私は断固として認められず、引き下がれず、役員を引き受け「ヒラ」の役員を務めたのでした。おそらくは陰ではいろいろ言われたのでしょうが、幸い一年間、役目としては無事終えることができ、今年度は正規の委員としてではなく学校にかかわっています。

 いずれは小学校とは直接の関係がなくなるので、それはとても寂しいことですが、議員としてあるいは政治家として、敬遠される存在であることがなにより風土としていかがなものかと思います。

 たしかに、役員とはいえ学校としては気を使うでしょうし、私は気を抜くことなく常に学校側を「調査」しています。げんに、今日も清掃しながらトイレの状態のチェック、備品の整備状況、など頭にインプットしてました。こういうことをされたくはないのでしょうなあ。

 さて、学校の規模は大きくなりましたが今日の清掃に参加した親はわずか30人程度。夏休みの草むしりと側溝清掃、枝おろしも一年生の親が初めてなので参加しないといけないのかとけっこういらしていただいたのを除けばほんとにわずか。これではPTAは結局一部の役員によって何とか成立しているという、本来あるべき親の参加形態とは程遠いものになってしまいます。

 長くなりました。卒業式前の体育館のトイレや舞台のそで、の清掃、それとプランターをきれいにして、午前中の作業を終えました。だれかがやらなければならないこと、というのは必ず誰かしらがやっているもの。そのだれか、というのになることを誰もが厭わないようになる、というのは机上の空論というものかもしれませんが。



父親のその後
 昨年秋に入院して以来、転院を2度、透析をはじめて、おもに歩行のリハビリを日課に父は頑張っている。

 この3月いっぱい、という条件でひとまず転院をはたして、きょうは今後の相談に出かけ、リハビリの状況を共有してきました。よくなっていました。たいしたものだと思わずにはいられません。

 問題は、かといって在宅での看護、介護が可能かどうか、非常に微妙だということです。在宅で、独居の状態にするというのはかなり冒険。無年金でなければ当然施設を選択しようとするでしょうが、負担を考えると施設はなるべく最終手段にしたい、とついそこから考えてしまうのです。よいとか悪いとか、論評は意味を成しません。

 週に2回、透析に通わせることもかなりの拘束になります。さて、一週間程度で結論を導かなければ。