父入院

小学校の運動会の今日、私自身の結石治療のあと、父を入院させました。この夏、道路で転倒してしまって以降、徐々に動けなくなっていき、ついに丸一日、トイレにも行けないほど痛みがひどくなっていたようで、救急車で病院まで運ぶ状態でした。昔気質なためかやはりぎりぎりまでは我慢していたのでしょう。救急車の中では血圧が220−120まで上がっていて(入院後上が180まで下がりました)身体全体がきつそうで、心配でしたが、点滴と尿カテーテルでずいぶん楽にはなったようでした。


昨今、介護保険を巡り制度の維持のための諸問題がクローズアップされています。基本的に自己負担増と要支援の保険からの切り離し、がメインのように受け止めていますが、介護を受ける人間にとっての最善という視点は相変わらず残念ながら、制度の始まる以前から一貫して欠落しています。介護保険は介護の社会化が最大の歌い文句。社会全体で高齢者を支えるという理念はよろしい。が、支える社会とやらが恐ろしく怪しい。


一般論はさておき、父ですが、前にも書きました通り、この春の認定で要介護1、から要支援1、に変わってしまいました。再度認定を依頼し要介護2、と判断されましたが問題は切り替わるまでのこの猛暑の時期、デイサービスの日数と時間帯が変えられてしまったことが、今回のような不測の転倒を招いた遠因になったとも言える(もちろん因果関係を問われれば証明は難しいでしょうが)のではないかということです。施設に聞くと、支援と介護では別の場所でやらなくてはならず、お仲間との関係なども変わってしまう、との話。システムに高齢者本人は翻弄されている、と言えば言い過ぎでしょうか。現場スタッフには少なからず戸惑いがあると私には伝わりました。ケアマネも同様に辛い部分を担うのです。


本人の状態は変わってないかむしろ少しずつ衰えもあるのに、認定では機械的に振り分けられるだけで家族にとっては全く訳のわからない話です。いや、認定がどうあれ希望したサービスが受けられる保証があるならばまだしも、です。施設がそんなことをできる状態にはありません。


要介護1から要支援1、そして要介護2へ。しかし、要介護2と認定されて以降、ほとんど施設に通うことなく転倒、入院。しばらくはサービスからは遠のくことになりましょう。要介護者が家族にいなければなんらピンと来ない話かもしれません。そういう意味では実体験は貴重でした。されど、いったいどこが「社会化」なのか、私は納得がいかないままです。


おかげで運動会にはちょこっとだけしか顔を出せず。PTAとしての準備や片付けも参加できなくて、まあそれはしかたないのですが、残念ではありました。私の左脇腹、下腹部の鈍痛も続いていて。