続・市議会選挙の時期

広島、原爆記念日の今日。野田首相のメッセージからは、なにも新しいものはなく、当たり障りのない官僚作文というかんじのする非常に淋しいものでした。脱原発、エネルギー政策も空虚な響きにしかならず、あれでは触れた意味がありません。さらに、いまさら原発ゼロのシナリオについての具体的検証を指示したとかって、やっぱりやる気がなかったということだったのですよね。よくわかりました。オスプレイ配備にせよ、集団的自衛権にせよ、新しい世界の在り方を模索もしないで旧来の政治をそのまま踏襲しているだけにすぎません。


鮎まつり、の期間中、いろいろ議員と意見交換する機会もあり、件の政治倫理審査会問題や定数、選挙の在り方などを話しました。議長選挙がどうしても目前に迫っていますので、結局はその話に収斂されていきましたが、現状にたいする危機感は程度の差こそあれ、共有されていると思います。

市議会選挙の時期を市長選挙の時期に合わせるためには市長選挙の直前に市議会の自発的解散が必要になります。任期を半年残しながら、ということにやはり通常は抵抗感もあります。選挙で選ばれ、与えられた4年という期間が、当選後に事情で3年半に縮まる、これに心理的抵抗がないと言えば嘘になります。その結果、例年投票率が低下している傾向にちゃんと歯止めがかかり、市議会があらためて評価されることになるというのであれば、放棄する半年、も報われる意識で穴埋めされそうですが。


元代表制の意義、価値。私はいまほど、この原点の議論の必要性を感じることはありません。私の持論たる、議会そのものが目立つ必要はない、地道に、地味に、こつこつと、市民の届かぬ声を拾い、行政に活かす仕事。行政を、きちんとチェックすること、馴れ合わず、利害にとらわれず、独立していること。本来あるべき姿は、こういうものだと私は思っています。中に属しながら、それなりに役割も果たしてきたかとの僅かながらの自負も、結局は議会総体の評価の中ではたいしたことはなく、自己満足にすぎないということなのか、自問自答はなお続いているのです。