梅雨

 議会は引き続いて一般質問の一日。外はすっきりしない天気、予報では今週はほとんど晴れ間がないと伝えています。今週は、国会もどうなることやらと騒がしいようですが、すっきりしないまるで梅雨空のようでもあります。

 すっきりしない空模様とくらべて、市議会の議論はどのように映っているでしょう。政治的な主張や立場の違いはあれど、厚木市の市民の安全を願っての共通項は少なくはない。交通事故、特に通学路における児童・生徒の事故がないようにと願っての質問は集中しました。さらに、中心市街地整備、あつぎパークビルの整備に関しての質問も多くありました。何人かが重ねて取り上げることにより、質問者=議員が相互に内容・認識を深め、問題意識や課題を共有することができます。さきの議会報告会では、とりあげる質問の重複を問題だとする市民の意見もありましたが、議会議論を重層化する意味では必要もあろうと思われます。視点の異なる質疑もあるわけですから、なおのこと様々な取り上げ方が必要と言えます。

 厚木市議会は、不規則発言、野次がない静かな議会として知られています。時折、あることもありますが、たしかに近年、「国会行ってやって来い」(私はよく言われた)などというヤジが飛ばなくなりました。学校ではありませんが「人の意見はきちんと聞くこと」をしっかり守っています。一問一答、の質問形式は、多くの他の自治体議員から進歩的との評価をいただき、おそらくは理事者・答弁者がその答弁能力が問われることであろうこの形式は、後退することはないと思います。これら、厚木市議会以外の議会を知らない市民にとっては、あたりまえのことと感じられ、さらに議会自体がさしたる力を持たないことに歯がゆさも感じているのではないかとさえ思います。

 議員は、みなそこそこ見かけ上の攻防に長けてはいます。生き残るうえで、必要な能力かもしれません。そのくらいの技量なしには淘汰されてしまうということです。
 しかし、3・11以降の厳しい情勢に、問われる課題の複雑さ、困難さは並大抵では解決しえない。議論が下手と言われる日本人が、この弱点をどう克服できるんだろうか、私の興味はそこにもあります。そして、国会はさておき、地方議会、それも厚木市議会で、議論が活発だといわれるようになったなら、本望であるし、喜びでもあります。見掛け上の、成果にこだわるようでは市民に見捨てられる、見捨てられなければならない、見捨てることなしに厚木市の発展はない。

 ひたすら市民の安心や安全を願っている。多少なりともその部分でウソ偽りがあるようでは選挙の洗礼をクリアできることはないだろう。私は、その意味で、まだ厚木市議会の中で、それなりの仕事をすることは許されるだろうと思っています。