ギリシャ

 まずはっきりさせておきたいことがあります。

 私はギリシャ好き。天文ファンであれば、ギリシャと言えばギリシャ神話を思い出すでしょうし、星を好きならば小学生でも星座を構成する恒星たちにα(アルファ)星、β(ベータ)星、とギリシャ文字を充てていることは知られているでしょう。数学が好きな人もα、β、γ(ガンマ)、他にもΘ(シータ)、ω・Ω(オメガ)、などなじみが深いものが少なくありません。
 
 文明の歴史を含めて、ギリシャに対する愛着を持つ人は決して少なくないでしょう。観光で、遺跡で、エーゲ海に魅せられて、などなど、いろいろあるでしょう。

 さて、そのギリシャ。「反緊縮ならばユーロ残留は困難」などと報じられています。どうすべきなのか。いやもちろん、内政干渉という意味ではなくあくまで理屈の上で、考えてみるとしたらという話ですが。
 私は、これはたしか以前にも書いたと思いますが、EUの価値を今も軽視していません。したがってユーロ残留を望みますが、ギリシャにおける来月の再選挙の結果いかんでは、などとユーロに残りたい(ギリシャの世論の8割だとかと言われてもいるがどうなんだろうか)人々を裏切るのか、我慢して緊縮を受け入れろ、というような世論誘導はいかがなものかと思うわけです。

 EU各国の、国民感情、あるいは様々な民族の思いはどうでありますでしょう。心配なのは、どこの国も決して経済は好転の兆しがあるわけもなく、ですからギリシャ切り捨てろ、の感情に傾きがちなのではないかという点です。

 ギリシャ国民が、いかなる選択をしようとも、ユーロの離脱を選択させてはならない。財政悪化の各国が足を引っ張り合ったり、切り捨てて「除外」していくことに展望があるのでしょうか。求められているのは欧州全体の将来構想の提示で、各国の利害を対立させずに危機を縮小させる政治力ではないでしょうか。

 アジアではいまだ、その条件を見出せずにいますが、すでに誕生した先例が後戻りすることを、国際社会は黙って見過ごしてはならない、そう思うところです。

 まったくの私見ですが、国際社会がギリシャを切り捨てにかかることがないようにと、今日はそれを言いたくて日記に書いたのでした。