「いいね!」や「なう」の文化

 短い時間で多くの人とつながれる、これはおそらくSNSの最大の魅力の一つであると思われます。商業ベースの、あるいは「官」の介入がないままの一次情報の魅力。発信者の責任感も育成され、受信者もまた受け手としての責任感が問われていきます。

 短い時間でたくさんの仕事量をこなすことができる現代社会は、手がかかる、時間をかけることを疎んじることにもなりかねないという、気をつけなければならない部分も併せ持っているといえます。いいね、いいね、とクリックをしていく簡単な操作はやはり簡単な関係でしかないということも自覚しておいたほうがいいはずです。

 若い政権担当者を見ていて思う。時間をかけてじっくり吟味する力を持っているのかどうか。様々な、多様な価値観が生まれた現代社会の中で、外部情報に翻弄されず、権力に媚びず、わが道を行く信念を形成してきたか。

 これからを生きる人たちへ。たとえば「難解な長文」にも挑んでほしい。そして、時間をかけて、優秀な人の手を加えて作られた、それなりの高価な成果品を手にして、大切にしてほしい。

 先日の議会報告会は、きわめてアナログな文化だったと思います。総務省が進めたテレビの地上デジタル、のような大衆文化として誘導されたような双方向システムではなく、一つ一つのやり取り、呼吸が、緊張をつくりだすという、参加者が単なる受け手としての聴衆ではないという、そういう貴重な空間をつくっていました。
 コンサートであれ、演劇であれ、聴衆がいなければ成立しません。その聴衆が、それなりに費用負担をすることで、質の高い文化を維持し継承していけるのです。
質の高い文化を目指さない国家を目指さない限り国際社会において名誉ある地位を占めることができようはずもありません。