原発ゼロ

 昨夜(5月5日深夜)、北海道電力泊原発3号機が定期検査に入り国内の商業用原発50基すべて停止となりました。主要各紙の論調は入り乱れて、どう報じたらよいのか方向性が定まらない書き方になっているように思えます。

 日経新聞の1面下段の春秋、はちょっと意外な展開だったような。「宇宙から国境は見えない。宇宙飛行士の毛利衛さんが語った至言である」からはじまる小論は、私好みでねらいにはまって惹きつけられてしまう。最後が、実は意外なしめくくりになっていました。「国内だけでなく、世界に安全を呼びかけるのも、事故を起こした国の責任だろう」、と。ぜひ以下のページ(全文)を参照ください(いつまで見られるのかはわかりませんが)。春秋、の意図はわかりませんが、これもまたいかようにでも解釈が可能なように書かれているようでもあります。好意に解釈すべきか、否か、私は結構好意にとりましたが。まあ、都合よく毛利さんの言葉を利用しているという見方もできなくはないのでしょうけれど。

 http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE6E3E2EAE4E2E4E2E2E7E2E7E0E2E3E09F9FEAE2E2E2;n=96948D819A938D96E08D8D8D8D8D

 

 ところで、2008年2月29日の議会本会議、私は日本国憲法前文を引いて以下のように質問で引用しています。部分的な抜粋ですが

 (前略) 書類で忙殺されています。そういう教育委員会制度はいいとは思いますが、改善すべき点は多いと思います。
 
 日本国憲法の前文に「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」教育基本法は変わりましたけれども、こうした我々の任務は決して解除はされていないのです。つまり「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と言っているのです。
 我々全体に課せられたそういう使命があるわけです。

 教育長、今の教育現場を見るにつけ、そうした崇高な理念を持った将来を思いつつ、教師ということだけではなく、どのような人材育成を……。我々がいなくなってからも先、この厚木市を担っていくであろう子供たちに向けたメッセージを我々は残していかなければならない。そうした崇高な教育的な視点を持って、ご発言をいただきたい。
 (以上質問)

 ほか、何度か議会で前文は紹介したりした記憶があります。
 
 憲法そのものの論議をタブー視してはいけないと私は思います。原発の再稼働をめぐって、住民投票国民投票が議論されている今、日本の国の今後について、国民自身が決めて行こうという気運はますます高まるでしょう。あらためて現在の憲法の前文の意味を噛みしめながら、憲法と私たちの生活を、政治を近づけて行く作業も求められているのだと私は感じています。

 長い連休、バタバタと過ぎた連休も終わり、明日からさらに忙しい日々が待っています。6月議会も待っています。昨年はこの時期が選挙準備の時期でした。つまり早いもので一年になるということ。この時期になぜか比較的体調を壊しやすい私、やらねばならない仕事が多くなる時期だということに因るのでしょうか。