夏も近づく

 今日は議会報告会の司会と報告を担当する議員らが自主的に集まり、報告原稿を実際に読み上げたり時間配分を確認したり、意見交換をしました。「台本読み」のようなひとときでしたが、私の担当は例の旧パルコに絡んだ報告、予定9分、で、この原稿は議会での反対討論よりはるかに難しい。わかりやすく伝える力が求められます。議会でしか通用しない用語をどう変換するかも課題になります。

 今夜は雨強く、事故などがなければと気が気ではない、落ち着かないのでこんな夜はあまり原稿作りには適していません(私の場合)。

 昨日は八十八夜。夏の到来を予感させる陽気、この雨も季節の移り変わりを私たちに告げているようです。


夏も近づく八十八夜

野にも山にも若葉が茂る

あれに見えるは茶摘みじゃないか

あかねだすきにすげの笠


■柔道

 去る2月議会、少しでしたが中学の武道必修化について、疑問を感じ一般質問に取り上げました。この日記にも書いてきましたが、今日は最近読んだ文藝春秋に、ぜひとも御一読願いたい記事があり紹介します。

 私は作家の塩野七生さんが好きなので、毎月お会いできるような錯覚に自ら陥るためなのか、文藝春秋を手にしています。先日も、なにかで触れましたが今回は「新・日本の自殺」という国家破綻シュミレーションを読んで反論を試みるつもりでしたが、あまりあえてあらたに取り組むべき内容だったかというとさほどではなかったと思われ、しかしながら、柳澤健氏の「フランスに日本柔道は奪われた」のほうは貴重な一文であると、伝えたくなったのでした。

 日本の、とりわけ中学柔道の指導者は、ぜひこの文章に触れていただき、フランスの安全重視の取り組みに学んでほしいものです。文部科学省は、なかなか変わりません(これについては機会をあらためて)ので、ぜひ現場から。

 源平の時代から江戸時代、戦前から戦後と柔道の歴史をひもとき、様々な指導上の対立などにも触れられて、私などにはようやくなるほど、と理解できたようなものでした。

 なぜフランスの柔道人口が日本の3倍以上の60万人にもなったのか。そこを真剣に考えることから、はじめて武道必修化を語れるはずです。文章の中から抜粋すべき箇所は多いのですが、あえて一つ、「柔道事故は全柔連の重大なシステムエラー、プログラムミスによるものだ」と言った全柔連医科学委員会副会長の二村雄次さんの言の以下の部分。
 「事故が起こるのは春から夏まで。秋になるとほとんどなくなることは統計的に明らか。部活のプログラムに問題がある。基礎体力ができあがるまでは、もっと受け身と寝技をやらせないといけない。首の筋肉がしっかりすれば、事故は確実に減るはずだ」
 その他、一日千本の打ち込みを許されたというオリンピック代表選手は「それだけの数を投げられるからこそ技が切れる。一本を取れる技ができるんです。でも、投げられる側は脳にガンガン負担がかかっていたはず」とも。

 文藝春秋、と中学体育教師とはなにかおよそ縁遠いように思えてなりませんが、ぜひ教育委員会が率先して安全普及のために尽力してもらいたいものです。様々な機会をとらえて私からもアプローチを続けます。


 しかしながら日本では、痛ましい事故で尊い命が奪われないと、問題をあらためるに至らないのか。これまでに事態を放置してきた責任について、よくよく考えなければならない。こうした場合にこそ使うべき言葉が「胸に手をあてて考えろ」でしょうか。

 楽しいはずの連休が一転、なんていうことになりませんように。