民主主義の底上げ

 表題は大げさでしょうか。今日は、議会運営委員会(当面の日程、新しく受けた陳情)から始まり、定例の全員協議会、議員クラブ総会を経て、来る5月13日、18日に行う議会報告会のリハーサルを行ったのです。
 「議会報告会」、の価値について、それはもちろん過大に評価すべきものではないでしょうが、過小に評価するのも誤りだと思います。よって表題の意味合いがあるのではといいたかったのですがいかがでしょうか、それは結果を見てからでしょうか。
 しかし、結果というのは1回や2回の「議会報告会」の評価で決めるべきものかどうか。あまりうまくいかなかったからやめてしまおうなどという、その程度の意気込みでやるべきものではないということではないかということです。

 市民が議員や議会に期待するもの、それに応えるためにどう議会があるべきなのか。それが、いよいよ、選挙のときだけに限らず試される機会が得られることとなった。この意味は大きくはないでしょうか。それを、自治の力と呼ぶか、民主主義の力と呼ぶか、地域主権の定着というか、定義はともかくも、議会が前向きになっていることは正しく評価していいはずです。

 で、今日は、全員参加型のリハーサル。こんなことがきちんと行える議会になったとは、私はとても感動しています。1年前の今頃、こんなことが(こんなことくらいすら)実現するのはまだ先なのではないかとさえ思っていましたから。
 資料を独自で準備し、司会進行を考え、報告内容を決め、時間配分を考え、質疑を想定し、誰が何を担当するか、もう必死に、ああだのこうだの。政治的な立場、意見が異なるそれぞれが、地域に議会の結果を主観を述べずに報告をしようと建設的な意見を述べ合っています。

 おそらく、それぞれの政治的主張を戦わせることが政治の本質だと思われ、その活動にどれだけ力を注ぎ、さらにその主張に沿って地域の声を拾う中で、しっかり市政に反映させる、そのことの比重こそが大切であることもまた間違いのないところだと思います。それぞれ意見の違う議員が、なぜその主張や立場の違いを横において、議会での議論や経過じたいのみを報告することに意味があるというのか?という批判はありえないとは思いません。
 しかし、まずはそこから、特徴ある予算の議論、新たに整備された斎場、工事も始まって新たな運営形態となった市立病院、こうしたエッセンスを議論経過を丁寧に伝えるところに視点を置いた報告会から始めてみよう。私はそこからでも価値があると思いました。そう決めて、広報広聴特別委員会の委員外議員である私ではありますが、積極的にかかわっています。

 とはいえ。議会と市民の間にはおそらくは相当の意識の乖離があるのではないか。それは、二元代表制などというものはたいして機能していないからに他ならないから。議会へのお叱りはたくさんあるとすべての議員は知りながら、議員個々人、らがどんなにもがいても、前向きで建設的な意味が市民に届かない、伝えられないこともあります(政治的主張は別ですが)。ですから総体として、つまり議会全体として何かを変えようとしているというメッセージを発信し続けることのもたらす効果を、私は軽視をしていません。市長の持っている権限、そして広報力などと比較すれば、議会のそれらは圧倒的に小さいのですから。厚木市発行の広報と、年に5回しか出されない、挟み込まれた「議会だより」と、どちらが読まれているか。答えは歴然でしょう。

 貴重な、忘れることのできないリハーサルでした。今日はたくさんの改善点も指摘されたので、修正を加えなければなりません。多くの市民が、批判的であれそれが建設的な意思を持ってであれば、どうかあきらめないで報告会に参加していただければと願います。

 

 そのほか、代表者会議もありました。今日の盛りだくさんの、各会議、報告から、記憶にあるものをとりあえず列記しておきますが、
 ようやく南部給食センターに設置された食材の放射線測定器のことが報告されました。十分な議論の場ではありませんので、別途改めて報告することができればと思いますが、議員側に対してこの測定器の視察を希望するかという問いかけがなされたことは、悪くはないかと思います。もちろん希望しました。来月21日です。

 厚木パークビル取得交渉経過、その関連の報告もなされました。交渉継続中のため詳細を公開することができませんが、取得後の利用について、整備の方向性についてを決定する道筋だけは担当部局も相当に急いでいて、早急に市民参加での検討委員会を立ち上げようとしていることがわかりました。

 自治基本条例の運用状況についての報告もされました(冊子配布)。詳細の報告はありませんでしたので、冊子分析の上で、機会を改めたいですが、自治基本条例推進委員会が、この条例を肯定的にとらえているという前提で、第15条(行政運営の基本事項)以降の条文がいかに適切に運用されているかという視点での点検のようです。その前提について見直すべきかどうかを考慮された気配がありません。ですから、その天は若干スタンスの違いを感じるわけです。
 
 厚木市観光振興計画も冊子として配布されました。立派な冊子でしたが、のちほど問い合わせたところ100部の作成だったとのことです。ううむ。最近の、こうした冊子は部数制限で作成することになったということか、だとしたら、その貴重な100部はどう有効に活用するかを考えた上でのことなのか。議員に配布するのが有効?簡易印刷で十分ではないか、どうせこちらはチェックの視点で線を引いたりして使うのであるから。飾り物として本棚に並べるためにいただいても意味がないわけで。大量に配布するなら概要版を少しハイグレードで作成してもいいのかもしれませんが。ちょっと最後に細かい話になってしまいました。

 

 問責決議以降の駆け引きで審議入りがどうのという政局、今後政権側はなんでも有利に進めるカードとして使うことを考えていることくらいは誰でもわかってしまう。先日滋賀県や京都の知事が原発再稼動に7項目の条件をつけたことや、「政治的」であることはあったにせよ大阪の示した「8項目」、はたまた全くベクトルが異なる石原都知事の驚きの提案など、これらは必死に国政停滞に対して「政治そのもの」を問題にせよと、投げかけをしているのでありましょう。

 われわれ地方議員が地域の住民から叱られたり「ああ、あんたら政治をやる連中はね」との目で見られたりするのはこうしたうんざりするような政局のとばっちりだったりすることもないとは言えないのです。

 国権の最高機関が、本当に遠く遠くなってしまった。