ベテルギウス超新星爆発について

 今年は5月21日(月)の金環日食がすでに話題となっています。東京では月曜日の朝7時31分ごろから、金環日食が始まり6分間、日食が終わるのが9時02分ごろとなりますので、通勤通学の時間帯が観測の好機と重なり、想定外の事故が生まれないように関係者の注意は喚起しておかなければなりません。

 天体観測に時間もさけない気持ちだけの天文ファンとしては、天文の事象に関心を寄せる人が増えるのはとてもうれしい。当日は議会運営委員会など、6月議会定例会が事実上始動する日でもあり、週の初めの月曜日ということもありなにかと忙しい大人にとってはゆったり観測する余裕があるとはいえませんが、そうそうある機会ではないので6分くらいは捻出したいもの。晴れることを期待します。

 一方、注目されているのがベテルギウス超新星爆発です。オリオン座のα星、赤くて大きな1等星は地球からわずか640光年という近さであることで知られています。何万光年、何億光年が当たり前の宇宙において、光が届くのにわずか640年というのはとても近い。(それでも我々が爆発を肉眼で観測したとしてもそれは640年前に起こっているということではありますが)

 これが今年ではないかという説があったとかで私もいくつか書籍を読んでみましたが、それはもちろん可能性の中の一つでしかなく、確証と言えるものはあるはずもないという話です。それはそうですが、注目すべき点があるのは事実で、そのことにも今年は気をつけておきたい。(参考図書としては「ベテルギウス超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見 ・幻冬舎新書・野本 陽代著」など)


 はやぶさ、はとても注目されました。小惑星の組成について、サンプル採取することの意味などがどれほど理解されたかは別にしても、全国民的に喜ぶ快挙、日本人が一つになれるドラマとして描かれたこともあったでしょうが宇宙関連予算獲得に若干の後押しとなったという側面があったのは事実でしょう。
 私は、当然宇宙関連の研究には予算をつけたい側にいます。それが結果を残せるのかどうかがわからなくても予算が必要だからつけないわけにはいきません。はやぶさ、は成功しましたが(成功というのは、その持ち帰ることができたサンプル分析から何がわかったのかあるいは何がわからなかったのか以前の評価ですが)成功する保証がある実験などはありえません。事実、金星に向かった「あかつき」は残念な結果でした。それでも、失敗を繰り返すことにさえ、投資は必要なのです。

 水や土であっても利用価値がある以上商品価値があります。それにさまざまな付加価値をつけることでより価値をあげていきます。我々が(人間が)生きるためであり、またより良く生きるためです。人間が付けていく付加価値に正しい、正当な評価がされることは必要なことです。

 宇宙に目を向けることは我々(人間)と我々の存在を正確に理解していく上でも必要な投資で、本来は人類共通の目的としての「共同出資」がふさわしいというのが私の主張。各国の利害、軍事目的などが関与した宇宙開発競争の次元を超えなければならないという意味です。最近宇宙ごみの掃除も話題となりましたが、ごみの発生原因を減らすことが大事なのです。必要に伴う投資のみに限定させていけたら、研究に対する出資に集中できるのではないか。
 宇宙の分野は、ある意味で原子力開発、物理学の分野と重なる話でもあり、つまり星の誕生、あるいは生命の誕生や元をたどれば原子の誕生は共通の研究の土壌でもあります。カミオカンデの存在、つまり原子力を研究室の研究課題から、まだ未解の部分がありながらも利益を生ませることに利用させる道に引っ張り出してしまった人類。それは必然に辿ったとも言えるでしょうが、その道を修正させるべく新たな叡智が必要なのもまた、必然でしょう。
 小惑星からサンプルを採取する技術、それを持ち帰る技術、注目されたイオンエンジン、これらの高い技術は世界に誇れるものであることは実証されました。この高い技術力を持つ日本であれば、福島第一原発の事故処理および周辺地域の安全確保、子どもたちへの放射能汚染対策に振り向けられるはずです。それさえもコストとして換算すべきであり、必要悪とはいえ付加価値だともいえるものだとも思います。

 多くの尊い生命を犠牲にして得ることとなった失敗の教訓から謙虚に学べることさえできれば日本と世界の未来に私は不安がありません。宇宙との「戦い」も失敗の積み重ねの上の成功なのですから。