がれき処理

 「収束宣言」以降、なし崩し的に「過去のこと」にされている感のある福島第一原発事故。汚染はもう心配することがないかのように言われるマスコミ報道に接するたびに、グルだなあと思ってしまいます。
 先週は夜はなにかと「会合」続き、まだ終わっていない、終わらせてはならない、そうした意識を確認し合っています。ある人曰く「私は除染という言葉がおかしいと思う、移染じゃないか?」、そうだそうだ、と盛り上がる。一つの安全神話の崩壊から、何一つ解決していないのに新たな安全神話が生まれつつあるようで、恐ろしくなります。責任と無責任の問題を、自分に引き付けながらよく考えて、考え抜いていくそういう年末年始にしたい。

 汚染廃棄物、3000ベクレル/キログラム以下は再利用可能と環境省がはじき出した、と報じられました。アスファルト、砂利、コンクリートなどで表面を30センチかぶせた場合という条件。日本原子力研究開発機構のシュミレーション。原発推進が前提となっている側のシュミレーションにそのまま納得する必要は皆無と思いますが、しかし、こうしたものを道路に使う話というのが先の「収束宣言」と同様、意識をマヒさせる要素があると思うのです。

 さらに、がれき処理についての神奈川県知事の受け入れ表明、全く納得がいきません。神奈川県下自治体で焼却処理をし、焼却灰を横須賀処分場に埋めるという想定のようです。しかし、まずもってそれぞれの市町村の責任において廃棄物の処理に関しては自治事務として行われているにもかかわらず、県がそのことに「上から」関与することは言語道断です。地域主権を履き違えています。理解していると言えるかどうか。
 「復興支援」の名目で、自治体の事務の原則が逸脱される、ひどい話です。

 早々とした福島第一原発事故の収束宣言やその前提となった「冷温停止状態」という政府の無責任な状態や十分な補償を渋る東京電力に対してこそ、知事はまっさきに抗議をし、安易な「支援要請」に従うことを拒絶すべきです。

 がれき処理については、放射線対策を十分に講じた新規の焼却施設を現地に作り、拡散を防ぐことが第一義的になされなければならないのに、そのことを国は一貫して怠っています。仮に、自治体で受け入れる際にも、放射性物質の拡散を防ぐ措置について、どういう新たな対応が必要か、財政的な保証も含めて、提示をする義務があるはずです。現在ある焼却施設での処理に疑問があるという有識者の指摘もあります(2011年12月21日、小出裕章氏が、毎日放送たね蒔きジャーナル」に出演。震災瓦礫の焼却処理について警鐘を鳴らしています)が、いままでの焼却と同様の処理を進めることに危険性がないと断言できるでしょうか。

 「復興支援」「復興協力」の美名のもと、「被災地の苦労を分かち合う」ことが正当化されることは危険です。責任はあいまいにされ、事態の解決の本質を見失うことになるのです。

 終わってはいません、終わらせてはいけません。