委員会審査始まる

 決算議案は特別委員会で審査のため、通常の議案(補正予算など)の審査を常任委員会で行っています。すでに総務企画、市民福祉が終了。震災対策などの影響という意味では緊急対応あり、あるいは財政事情を考慮しての事業先送りあり、年度中間地点での検証は重要な意味を持ちます。なにより、来月からは予算編成作業も徐々に始まるわけで、予算執行とともに、より意識を集中させての行政運営が求められているといえます。市民協働の言葉を理念や理想だけにとどめずとの掛け声で「協働元年」をうたったのが2008年(平成20年)だったわけで、それから数えればすでに今年は協働4年、ということになります。そういう視点での「情報共有」はどれだけ進んだでしょうか、検証が必要です。

 南毛利の、落合一成元議員の訃報が届きました。広大な保守地盤を長くまとめてこられたことはよく知られていますが、私には新人の頃よりさまざまご指導いただき、とくに教育、民生分野でともにかかわったこともありました。厚木市厚木市ではありますが、いまもなお、南毛利は南毛利だし、荻野は荻野、依知は依知、という地域要素が強い。地域的結束は魅力であり、そこを離れては語れないというのは事実、今後はさらにその上にその垣根を乗り越えながら創造する分野も築き上げていかねばなるまい、とも思います。落合さんにはすでに後継者のさらに後継者まで議会に送られ、その新人議員の初登壇も済んで、一仕事、ということだったのでしょうか。76歳は私の父より若く、まだなお現役で意気盛んな先輩諸氏もおられることを思うと、残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 さて、原発の安全性が確認できたら再稼動、という言われ方についての違和感を一言。安全な原発、というのは100度に熱した氷、と等しく、まさに矛盾ではないだろうかということ。
 安全ではありえないがやむをえず、と言って国民が納得するならば再稼動もやむを得まいが。ストレステスト、についてもそれは必要条件ではあれそれを十分条件だと認識してはならないはずです。そもそも、ありえない(と言い逃れができる)事故が起こったときに、いまのような補償のありよう、もたつきよう、責任回避、をそのままにして見切り発車ですか。少なくとも、次への展望、エネルギー政策の将来構想、電力会社のあり方、これらの中身の論議が全く国民に見えていないというのは、どういうわけなのか。
いまなすべきこと。「すべてのこどもたちに、安心な食品を」。これだけでもできないものか。これさえできないものか。
 国民はすでに長い間、日本の将来をめぐる中身の濃い議論を切望しています。そうしたことにそむき続き続けていては、自然界からの警告はなおも容赦なく我々を襲うのではないかと、私は大いに懸念をしているところです。

 厳しい残暑!