訃報

 統一地方選後、しばし体調悪化のため休養しておりましたところ、4月24日に関戸順一元議長、厚木市立病院の整備・運営に関する調査・研究特別委員会前委員長が任期途中で、ご逝去されたという訃報に接しました。昨年秋までは議会でも活発に議論され、古河市赤十字病院への視察でも私は親しく意見交換をさせていただき、その後の入院と闘病生活の状況は伺っていたものの、あまりに信じ難く茫然としてしまいました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 厚木市行政並びに議会関係者以外の方にはあまりなじみのない話で恐縮ですが、市議会議員の中ではおそらくかなりの存在感を、特に行政に対しては与えていた貴重な方であったことは間違いありません。とくに医療行政に対する見識や熱意は傑出したものを持っておられたことはおそらくみな否定はしないことと思います。公明党議員ということもあり、私とはもちろん意見の異なる点も多々あり、かなりの論議となったことも数多くあります。お互い譲らぬ性格ゆえ、しかしあとくされのない関係でさっぱりと、忌憚なく議論できる関係が持てていた数少ない議員であったことを思うと残念でならず、市立病院の特別委員会で来る6月議会で任期中最後の報告を出すまでのご存命さえかなわなかったこと、いかばかりの無念であったろうかと私も悔しいことこの上がありません。

 苦しい闘病生活であったことは聞き及んでいましたが、その期間は決して長かったとも思えず、残された私たちにいかようの試練を与えんがために享年58歳の若さで生涯を閉じさせることとなされたのでありましょう。

 ご遺族のご心痛もさぞかしと思われますが、残されたわれら市議会議員もしばらくは同じ悲しみをともにいたし、残されたものに何が託されたのかを考える時間としたいと思います。

 思えば、我らが任期は2007年の夏よりですが、選挙の当選直後に公明党の故・簗田晃氏がやはり突然亡くなられ、深い悲しみの中で新しい議会を迎えたことがどうしても思い出されてしまいます。

 28日の代表者会議では、きたる6月議会冒頭に、同じ地区から選出されている議員から追悼演説をされることなどが決められました。生きているものは前に進まねばならぬため、みなつらい思いを抱きながらも決めごとを決め、今に至っています。おそらくは多くの議員同士がたくさんの送る言葉をお持ちでしょうが、代表されて沼田幸一議員がそのつとめをされることになりました。

 なお、このところ前述のとおり、体調不良で議会関係のご報告も滞っておりましたが、報告もたまっていますので整理してお伝えしていきます。
 3月11日以前と以降ではまったく世の中が違ってしまいました。3月11日以前に報道されたもの等を見るとすべてが気楽に思えてしまうほどです。かつてない大きな困難を受けて私たちは再生を誓い、必ず実現をさせなければならないし実現できるでしょう。がんばれやがんばろうは好きではありません(なかみがわからないので)が、わたしはそれなりに新たな決意を持ってはいます。