国会始まる

niginigi32011-01-24

 第177通常国会菅内閣が進めようとすることのほとんどが私には納得がいかないものになっています。政権交代をしたことの価値は全く変わらないし、民主党の中に志を持つ人々がいることの意味も変わりません。自らの唐突な消費税導入発言に端を発した参院選の惨敗以降、生じたねじれ国会を乗り切る戦略としての(ただそれだけのための)与野党協議の呼びかけなど、足元を見られて野党が応じるとも思えません。ただ、野党のほうも政策的にはほとんど変わらないというのが弱みで、腰砕けになる可能性がないとも言えません。本気で解散総選挙を構えるというほど、対立軸を提示できているというわけでもないからです。

 いずれにしても、国会内の攻防には何かを切り開ける展望というものが見えず、閉塞状況は簡単に破れそうにもありません。しかし、だからこそ、この状況を変えようというひとつひとつの行動が今ほど大切な時はありません。

 そうした意味で厚木の市長選は、おそらく国政とは関係のない構図、力関係で動くと思いますが、有権者の関心度合いだけは国会の動向や愛知方面の選挙情勢によって影響を受ける可能性があります。影響というのは必ずしも、プラスに働くとは言えません。まったく想像もしなかった影響を受けてしまう危険だって考えられるからです。それは、日本の政治や経済が岐路に立たされていることからくる必然で、世界中の激動と無縁ではないということでもあります。
 
 厚木市の未来を、どういう発想で語るのか。そうした意味で両者の発想方法に根源的な違いを見出すことができるのか、あるいはそういう可能性を感じることができるのでありましょうか。(あさって26日には公開討論会もあるようです。JCによる企画、文化会館。上の画像がそのチラシ)

 そして国会会期は6月22日までの150日間。まだなにがあるかはわかりませんが、普通に消化していくような国会にさせてしまってはならないことははっきりしました。最小不幸にとどまるのは自分たちだけで大多数の国民には最大不幸が待ち受けています。


 閑話
 駅頭での宣伝もヒートアップしています。しかし定着したのか違和感があるあの「本人」のぼり旗。私は議会の中でも選挙制度改革を訴えてきましたが、一向に国政において有効な、改革にたどり着きません。名前をかけないのぼりを何本並べたところで有権者にはわかりません。有権者に分からないことを平然と続けているというそのこと自体が、選挙が有権者本位になっていないことの現れです。
 「誰が」マイクでしゃべっているのかを、しっかりと見せることが必要なんです。ほんとうにおかしい日本の選挙制度