平和を希求する意思

 昨日提案された自治基本条例の前文には3つのセンテンスがあって、その中段に「平和を希求する意思」という文言があります。私はこの平和という言葉が入った自治という観点に着眼しています。その意味はとても高いと思うため、この部分になんらのこだわりもなく通過する意識を不思議にも思うのです。

 中段の一文は、「わたくしたち市民は、厚木市の豊かな自然、歴史に培われてきた文化など、先人のたゆまぬ努力により守り育まれてきた様々な厚木市のすばらしさを受け継ぎ、未来を担う次世代に引き継ぐため、平和を希求する意思の下、人を大切にする心、互いの個性を認め合う心、人と人との絆を大切にする心を尊び、個人として尊重され、連帯して自治の推進に努めなければなりません。」となっています。

 前文からは、平和を大切に思い、人を大切に思うことを重視したい意思が感じられます。人を大切に云々のくだりが同じような表現で三度繰り返されていることから、発案者の強い思いが感じられることはよくわかり、昨日の委員会でもこの表現にかかる部分についての質疑もしたところですが、しっくり来ない部分がいろいろあるわけです。平和、についての部分は機能の論議では私の主張を省略していますので、いずれ明らかにしたいと思っています。ひとことで言いますと、厚木の知名度で、厚木といえば厚木基地、を思い浮かべるというのをよくないイメージ、としてシティセールスの戦略を組んでいることとの整合性です。別件ですが、自治意識、協働の概念を高めようとしている真っ最中におこなわれた「おもてなし」云々は、私にはまったく理解できませんでした。つまり、基本条例を制定しようとしているのに、行政として日常活動の中で、一貫性というか、一体感というか、そういうものが感じられないということを問題にしたかったのです。これでは、条例だけできればいいやという安易なものに成り下がってしまいかねないという危機感が私を襲いました。

 平和。

 今年の8月15日は、私は退院直後ということと猛暑ということで例年参加している平和遺族会全国連絡会の集会と行進に参加できませんでした。新聞に載っている投稿などに目を通し、過去の戦争に思いをはせると同時に、現在も続く戦闘とその原因となることを考えてすごしました。
 ある新聞の投稿記事。
 
 第25軍団第18師団に配属された私たちはマレー作戦で快進撃を続け、42年2月、イギリス領シンガポールを占領した。戦況一段落と気が緩んだためかバタバタと病人が出始めた。大阪出身の粕谷軍曹もその一人である。ちょっとした食あたりと思われたが、血便が出ると大騒ぎになった。
 早速テントで個室を造り、隔離した。こうなると皆感染を恐れ、出入り厳禁だ。自分で汚物の処理をできるうちはいいが、それもつかの間。昼夜間断なく滴る血便に、粕谷の様態は急激に悪化した。
 激痛に耐えかねて助けを求めるが、誰も近寄らない。「助けてくれよー」、粕谷はついに泣き出した。
 故国を離れ、粕谷の無念さつらさはいかばかりか。私の脳裏からは赤痢の恐怖が消え、私はテントに飛び込んだ。むっと鼻を突く血なまぐさい悪臭にたじろいだ。毛布に垂れ流された血便、下半身が血にまみれた姿に、恐怖で頭の中が白くなった。しかし息を止めて血便をかき集め、空き缶に処理した。三日三晩看病したが、粕谷は28歳で逝った。
 手帳を焼却させられ、粕谷の住所氏名は不明。ご遺族に報告できず、一生悩む。

 投稿者は96歳の方のよう。それぞれの戦争体験は語られることが年々少なくなります。被害の側面もあり、加害の側面もあり、悲劇を繰り返したくないとの思いのみは共通するも、政治的問題としては未解決のものばかり。とりあえず平和ならばそれでよしという平和や一国平和主義の平和でよしとする平和ではなく、過去の戦争の総括をあいまいにしない姿勢を持つ、平和論を私は支持をしたいのです。ただし、それが地方自治の中での共有点になるかどうかは議論になるはず。しかしあえて前文に平和の一語を入れた以上は、その姿勢を毅然と示す必要がないはずがありません。


 今日は市民福祉常任委員会を傍聴。補正予算の留守家庭児童クラブの増額、こんにちは赤ちゃん訪問事業、保育所、児童館の維持補修費、自転車駐輪場、パートナーセンター、介護施設、などの各委員の論議を聞いていました。保育に関する陳情の論議もあり(継続審査になる)、国の動向が気になるテーマが多かったですが、厚木市はそれでも予算配分では最低の条件はクリアしてはいるとは思います。が、当然ながら課題はいっぱいあります。議論を拝聴していてたくさんのヒントが得られました。

 週明けからは環境教育、都市経済の常任委員会、そして決算審査も始まります。当該の委員ではありませんが、論議を伺わないわけにはいかないのは当然のことです。