9月議会

 今日9月定例会の諮問の議会運営委員会が開かれ、例年より若干早い9月議会が始まることになります。本会議初日は27日の金曜日、決算審査を含めて注目の自治基本条例の審査などをおこない最終日の10月5日までの日程となります。

 参議院選挙の期間中に、喜納昌吉さんへの支持を訴えて活動をする中で、市民から国政への思いをたくさん聞くことができ、また直接あるいは間接的に厚木市政への意見も聞くことができました。選挙中の活動とは言え、市政の広聴も兼ねている、これは考えてみれば至極当然のこと、よくある政治活動、議員活動、政務調査を分けて考えることの無意味さを改めて感じたのでした。法律によって明確に区分される政治活動と選挙運動との違い、とは違って明確な基準がいないものになぜ翻弄されるのか、という話。国会議員の公設秘書が国会の関連の実務などにとどまらず選挙もやることが当たり前ということにも示されているように、政治活動を広義でとらえる必要があります。

 さて、期間中に、意外と「議会だより」を目を通していることがわかりました。50分間の一般質問のうちわずかおそらく数分の、エッセンスのみを抜粋して伝えるのが精いっぱいの議会広報ですが、そこそこ雰囲気をつかんではいただいているようです。しかし、もちろん膨大な議論のごく一部しか掲載はできません。それでも、その一部だけでも市民が時間を割いて眺めるには十分な量なのでしょう。インターネット中継があるとはいえ、まだ紙媒体のほうが勝っているのではないかと感じました。もちろん、世代間の差はあるでしょうが。

 皆、本当に忙しい毎日を送っています。生活を支えるのに必死で、健康を維持しなくてはならず、将来を心配しなければならず、ニュースを見ながら考え悩むことも多く、マスコミの流す情報に、情報の多さに少しずつ神経が疲れていっているように見えます。
 
 元気な○○、というスローガン、コピーが使われることが多いですが、元気があまり出せないときにスローガンだけで元気を鼓舞されても困ります。元気がないという認識があるから、ことさら元気、元気と言いたいのでしょうが、人はどういう力を得て元気になるのかを理解する必要があります。似たような話では、昨年秋、オバマ米大統領と鳩山前首相の共同声明の中でしつこいくらい対等、と言っていたことを想起します。双方、対等ではないことを分かっているから対等を強調するのですから。

 さきの臨時議会で私は総務企画常任委員会に所属することになりました。これは自治基本条例の審査にかかわりたいという希望があったためでしたが、そうした要望を持ちながらもそのことを自己主張すべき議会運営委員会開催時に私は不幸にして入院中。無理ならばしかたないと思いながらも、一応事務局を通し、議運の委員長に伝えておきましたところ、おそらくは議運のメンバーの御好意で、私の希望が通ったのでした。希望した委員会ですので、まさにしょっぱなから自治基本条例の審査がある議会、一般質問に加えてとても重要視しています。

 自治基本条例の成立を目指して活動してこられた市民の有志の方々は、ようやくここまでこられたことにどのような思いを持たれていることでしょう。しかし、十分な議論をして、中身の濃いものにすることがその趣旨に沿うことだと信じて疑わない私としては、あつぎ市民全体が実質的に元気になる道筋の一つになるように、プラスに役立てる視点で臨んでいこうと考えています。