菅内閣発足

 矛盾を様々に抱え込みつつスタートした新しい内閣、政治は人事だとも言えるわけですが、首相以下民主党新役員には新しい政治の中身をめぐっての意見対立は隠蔽せずに国民的議論を起こすことを考えてほしいと思います。
 奇兵隊、を言うのであれば、それなりの覚悟が感じられなければなるまい、国民の政治への参加、がもっと大規模に行われることを展望させなければなるまい。
 

 以前菅直人現首相の書いた岩波新書の「大臣」という本を読みましたが、国家戦略局の位置づけや過去の大臣経験から見ての官僚機構の(たとえば縦割り)問題点、「大臣の任期から考える」とした様々な考察は参考になるものも多かったのですが、今日いざ首相になってどこまで理想に近づくことができるかが本当に問われているといえます。

 読み直してみて、以下のような記述がありました、面白いと思いませんか。

 「六十六条 ?内閣は、行政権の行使について、国会に連帯して責任を負う。」とあるように、天皇ではなく、国民の代表である国会に対して内閣は責任をとることになっている。さらに、それぞれの大臣が責任を負うのではなく、「連帯して」負うのである(この「連帯して」をとらえて、閣議は全会一致でなければならないという慣例があるようだが、これについては第1章で述べたように、最終的に総理の決定に従うのであれば全会一致ではなくてもかまわないと考える)。

 たしかに、そうかもしれません、だとすればそもそも連立政権は意見の相違を必ず抱えるわけですから態度の留保を保証できるのではないか、そう考えられるはずです。日米合意を肯定するためにこれを言ってるわけではありませんが。

 昨年の秋ごろに加筆した増補版として出された書、今のような事態になることをまったく想定はしていなかったでしょうが。

 196字が追加されたという記事の中で、一般から追加を求める声が多かったのは「玻(は)」、「鷹」「碍(がい)」の3字、だというような部分に目をとめている方々はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
 「碍」という文字は、障がい者団体から「障害者」を「障碍者」と書くために要望が出され、政府の「障がい者制度改革推進本部」で議論されているのですが、その結果を待って文化審議会は改めて採否を決めるといいます。
 この点については、先の私の一般質問でもこの議論について取り上げて、すくなくとも「障害者」の表記を厚木市レベルでは「障がい者」とすることはできるだろうと主張しました。福祉部としては国の審議結果を待つというような趣旨の答でしたが。
 
 昨今は、昔とは違って議論の経過などがインターネットで聴取することができずいぶんと情報収集が手軽になりました。以前とはまったく比較になりません。質問を考える上でもこの情報収集が短時間で、大量にできるというのは大変なメリットです。
 いっぽうで、あまりに大量の情報源があり、その取捨選択には苦労もします。時間はやはり限られている、というのは昔も今も同じなわけで、限られている時間内に、どのような情報を得られるか、ということになります。
 新聞記事も同様で、私はよく「このページをめくってよかったなあ、この記事に出会えてよかった」と思うことがあります。人との出会いも同じことが言えますが、間接的な情報ではない、人間の肉声を聞くということは何ものにも代えがたい「情報」です。

 今回の質問の背景には先日いくつかの地域作業所を見てまわり、実態と今後の課題を聞いてきたことがあります。直接質問という形にすることはあえてしませんでしたが、置かれている厳しい状況を変えるためのチャンスは今の内閣の下で審議されている「障がい者制度改革」の議論をきちんと成立させることがまずは大事だと私は考えたのです。
 障がい福祉、をたんに集票のためと考える、それが「政治」と思われているような側面があることを考えても、その構造を変えることが、その認識をも変えることが、私にとっては先決なのです。
 もちろん、個別の問題を解決することが仕事であることも言うまでもないことですが。