一般質問三日目

 今日で一般質問が終わりました。今日は人権についての質疑など、いくつか心に残る質問がありました。質問は、日ごろ市民の意見をどんな形であれ集約してくることから生まれてきます。そして様々な疑問を整理、情報収集と整理を行い、考えをまとめていくことになります。
 とくに政権交代があったこともあり、市民の政治への関心は高く注文も多くあります。それを自分なりにどういう方向にもっていくことがよい解決なのかを考えることが「訓練」にもなります。もちろん、国政とは別の次元で、厚木市の問題、課題についても同じことが言えます。
 先日読んだ新聞の、何かの対談だったか野党の3条件、だとかといって「政府の欠点を突けばいい、ない政策を求めればいい、言ったことに責任を取らなくていい」などと言って揶揄していました。たしかにこのレベルだと反対のための反対になりがちで、このテの質問を聞いていてもあまり気持ちのいいものではありません。ただ、古い政策を新しいものに変える、必要性についてただす、ことは与野党を問わず必要な提案です。その意味では「ない政策を求める」ことは必要です。問題は「やれそうもないことがはっきりしているのに政策化を求める」「実現までのプロセスをまったく考慮しないままの提案」となりがちなものは注意が必要。
 理念、理想と現実が違うというのは前提で、私たちは常に現実を見ながら理想に近づけようと努力をします。その努力が日常の活動にほかなりません。現実に埋没するだけならば努力も必要なくなりますし、前進もなくなります。多くの葛藤を経て、悩みをもって、乗り越えて、そしてまだまだたどりつくことがないという苦労をしていくのです。
 議員という立場の者が、市民の苦労をわかるためには自ら相当苦労をすることを厭わないという姿勢が必要です。まずは、そうありたいと思うことからしか始まらない。

 今日は一般質問の後に、議会のあり方検討会が開かれました。
 議会広報のあり方についてや反問権、議員間の自由討議、について議論がされました。意見が異なる問題についての議論はとても疲れますが、これを避けずに、最後まできちんと議論を尽くすことこそ民主主義の基礎だと思います。認識の相違は思想、思考の違いに起因するものであるがゆえに簡単にその溝が埋まることはなかったとしても、何かしらの到達点が見いだせるはずだと、私はそう思ってこの会議に臨んでいます。
 ずいぶんこの会議も積み重ねてきました。議長への答申まで、各会派が提出した議会改革の課題のテーマすべてを扱う時間的余裕はもはやなくなったことがはっきりして、それは大変残念ですが、今後も継続的に問題意識を持ち続けてもらいたいと願います。
 このかん、一人会派とはいえ正式に委員として参加して発言できたことは私にとって貴重なものとなりました。こうしたことじたいが旧態にとらわれない改革の一つの表れだと受け止めたいと思います。そして、議論に責任をもって参加する中で、自分の頭の中に前提条件を設けず、できる限り白紙の状態をつくっていくという、そうしたことが問われることが自覚され、いい訓練になりました。