旧態

 少し前のある将棋関係の雑誌に、内館牧子氏の随筆が掲載されていました。一部だけを取り上げるのは本意ではないのですが、おそらく全体の中身を捻じ曲げることはないと思いますので、ご覧になられた方もいらっしゃるでしょうが以下のようなものでした。紹介します。

 「2008年9月、大相撲場所(ママ)において、白鵬朝青龍の両横綱は同星で優勝決定戦に突入した。それを制したのは朝青龍だった。そして、彼は勝負を決めた瞬間、土俵上で高々と両手を突き上げ、客席に向かってガッツポーズをした。(中略)だが、朝青龍のガッツポーズを将棋に置き換えてみればわかる。これは、たとえば第66期名人戦で、羽生善治二冠が森内俊之名人に勝った瞬間に立ちあがり、座布団の上で両手を高々と上げてガッツポーズをするようなものである。(中略)私は角界の甘さを知るにつけ、日本の精神文化の最後の砦は将棋界だと実感している。(中略)朝青龍は外国人だから、日本の精神文化を理解できないというのは違う。単に師匠が教育していないだけのことである。日本には喜怒哀楽をおさえこむ文化や、やせ我慢の美学や、確かに自然体とは対極の精神も目立つ。だが、それらの方が「自然体」より遥かに知的で美しいことを、大人は伝え続ける必要がある」(将棋世界)

 日本の精神文化、伝統についてはまあ言う通りかもしれませんが、国技の在り方や外国人力士にこの文化をどう共有するかについては私は異論があります。
 記憶によれば、朝青龍は以前左手で手刀を切って懸賞金を受け取っていてこれも問題にされました。土俵の上に女性が上がれないことも含めてそれも伝統であり文化ではあるでしょう。しかし、「美学」を強要することはできない、それは人間の感性によるからです。外国人力士を国技に参加させ、それによって成り立たせている以上、国際ルールを確立すべきだと私は思うしそういう改革を望むものです。

 将棋は400年の歴史がありながら、世界中にそれぞれの国の「将棋」があるためか日本の棋界に外国人のプロ棋士(将棋)がいまのところいません。女流棋士も正式な連盟加盟の棋士としてはいません。囲碁の世界とは違う面があります。囲碁では人気のプロ棋士に外国人はたくさんいますし女流棋士も正式な棋士で男性との差異は何もありません。先ごろ女流三冠になられた謝依旻(しぇい・いみん)さんはまだ20歳、台湾出身の棋士です。歴史の違いもありますが、「日本の精神文化の最後の砦」が将棋だと言って国際化を妨げることがはたしてよいことなのでしょうか。疑問です。
 日本の伝統文化、茶道や歌舞伎、いろいろありますがその技術や歴史を伝承していく必要を認めます。しかし、外国人が日本の伝統文化を理解してその担い手になろうとする場合は、(私はそれを歓迎しますが)強制から理解は生まれないことを教訓にすべきと思います。相撲の場合はまして、格闘技でもあり、これからもモンゴル相撲からの移入はあるでしょうから内館流のやりかたが功を奏すとは思えません。事実、結果として日本の伝統なる相撲がもはやなにが伝統なのかを語る意味すらなくなっていることを当事者は自覚してほしいと思います。

 外国人との交流、異文化の理解、こうした分野で日本が成長していくことに期待します。人口減少社会の中で、移民政策や観光政策が積極的に語られ始めていますが、日本が、日本の文化が、外国人に親しまれるように、私たちが努力すべきであって、理解できない外国人が悪いかのような論調はあまりに傲慢と言わざるをえません。