司法

niginigi32010-01-22

 昨年入院している11月下旬、ベッドにいなければならないストレス解消もあって新聞読み比べなどに時間を費やしていました。主張にはいろいろあって、暇があるせいか、この記者はどんな考えの持ち主なのかとか、年代はどのくらいか、など行間を読み取っていました。ちょうどそのころ、毎日新聞共同通信に加盟、というニュースもあって、この業界も不景気と活字媒体の衰退という局面の中で経営の難しさがあるのだろうと思いながら、どう生き残ろうとしているのかに思いをはせたりしていました。
 たんに売れればいいという商業主義になりかねない中でジャーナリズムや文化の発展という観点をどう保持していくか。私の友人(芸術家)は「最近のテレビは興奮する赤色などどぎつい色を多用している。子どもに与える影響があるのではないか」と懸念していましたが、視聴率がとれなければスポンサーからお金が来ない、という宿命があるテレビにあまり期待はできまい。新聞も、再販制度の維持などの課題を抱えつつやはり資金源は必要で、取材に時間をかけるにも支局体制を維持するにもお金はかかるのは当たり前です。毎日新聞が共同に加盟したのもおそらくは経営が厳しい中での選択だったのでしょう。「報道」じたいが富を生産するものではない以上、本来は資本主義の競争の論理から切り離されたほうがいい面もあるのではないでしょうか。どうすべきかは議論の余地があるでしょうが、そんなことを考えてしまう昨今です。 
 
 さて、司法が独立していることや「権力」との関係(の歴史)について、考えています(図書館で借りた『検事総長』という書籍も参考にしながら)。個人が、考えることは自由で誰からも拘束されませんし、必要なことです。