起承転結の「転」の不思議

今年は、政権交代を、実現できた。


 自民党が進める政治、官僚が主導する政治に代わる新しい政治をつくるうえで、大きな貴重な一歩をしるすことができました。何度もこの場所で、活動の速報を兼ねて、あるいは日記として、つらつらと私見を書き連ねながら政権交代、そして新しい政権の成果などにも触れてきました。今年の最大の目標を達成したことは私にとってとても喜ばしいことです。そして、来る新しい年に、また新たな目標を持とうという意欲も生まれています。

 わが厚木市長は、今年の施政方針で、なぜか今年を起承転結になぞらえて「転」にあたる、と述べていました。これは直接的には厚木市政についてしか触れていないものとは思いますが、私はなぜあえて起承転結になぞらえるのかと不思議に思ったことを思い出します。しかし、「転」は、たしかに大きな意味で「転」ではありました。市政運営には私も一年間、相当苦言を申し述べてきましたが、つねに批判精神を持って厳しくチェックするのは議員としての最低限の役目と信じ、専念してきたとのいくばくかの自負はあります。十分ということはありえませんが、新たな課題設定はできてきました。

 市民の側に生まれてきて、育ってきている政治への参加の意欲と経験の蓄積がなにより厚木市をここまで支え、転換の兆しを与えてくれているものと感じます。自治基本条例、セーフコミュニティ、などなど、さまざまな試みはそれぞれが決してすべての課題解決の鍵とまでは言いませんが、そこに市民の意欲が介在していることだけは軽んずることができません。私は厳しい批判をすることはあれ、これらの市民の力が育ってきている部分を批判したことはただの一度もなく、むしろ行政がこれら市民の力を活かしきれていない構造的問題について批判をしてきました。その指摘の数々も、いくつかは聞き入れられ始めました。率直にその部分については評価しています。

 
 ところで、今年ははじめて、予算編成に当たって私の意見、というものを書面にして市長宛に出しました。その内容は新しい年の目標とリンクさせようと思っています。