川越祭り

niginigi32009-10-19

 視察で2回、選挙の応援などで何度か訪れた川越なんですが、昨日は思い立って川越祭りを見ようと出かけてみました。一度は国の重要無形文化財となっているほんものの祭りを見てみようと思っていたのですが、ようやく実現しました。歴史も古い、伝統のある祭りは壮観で、迫力の横綱相撲を見せつけられたような感じがしました。
 大江戸、小江戸という名前に確かにふさわしい、情緒を感じさせるに十分の街並みと長く受け継がれてきた山車を中心とした地域主体の祭りが心を打ちます。
 資料館に立ち寄り知りえた情報によると、川越は城下町として江戸時代から栄えていたが大火事にあったことにより、すでに400年近く前からの「都市計画」が今に活きている、という。火災の延焼を防ぐための道の整備です。たしかに、露店が出ていても通行に不便を感じることがない道の広さは感じました。何度も大火の経験をし、大きなものでは1300戸以上も焼失するという損害の経験の踏まえた歴史の上に、成り立っているのでしょう。
 厚木市小江戸まつりというお祭りを近年始めています。「元気な厚木」をめざした各種イベントは秋の「にぎわい爆発あつぎ国際大道芸」をはじめ通年いろいろですが、歴史、町の成り立ち、祭りが果たした役割、などなど、川越とは異なる、「江戸」を語るにしてもその意味合いも異なるというものでしょう。長年続いてきた鮎まつりに「小江戸」とつけることもなかったほど、文献に言われる厚木にとっての「小江戸」は地域に定着していなかったか、旧厚木町に限定のもので市制がひかれた合併によって意識が共有されなかったのか。

 人口30万を超える中核都市、ではありながら質素に見える川越市役所・祭りのメインステージ前で職員に尋ねると川越市栃木市佐原市小江戸サミットを行っているといいます。おそらくそれぞれが町の発展も、小江戸といわれるゆえんも異なるでしょうが、「小江戸のように栄えた」というほどのにぎわいはあったのでしょう。厚木の場合。やはりおそらくは相模川の恵みを基礎に、川の周辺に小江戸の繁栄はあったのでしょう。しかし、その名残を残すことのない旧街道沿いのあかないシャッターに江戸情緒を描き込んだとしても、にぎわいとはいえないことが悲しい。そのことは誰しもわかっていますが、厚木市にとっての小江戸を今一度考えてみたくなります。

 今年の川越祭りは連続ドラマの影響で3割以上は人出が増えているようだと、買い物をした店で聞かれました。汗ばむ陽気の中で、地域が一つになっている明るさに元気をもらい、すなおに喜べました。いい街が残っているではないかと。
 感覚で言うと、本厚木北口から林や妻田薬師あたりまで、に相当するくらいのとても広い範囲が歩行者天国、さすがに街全体が祭りとなるとこのような熱気になるのかということを肌で体験しました。一番盛り上がるころには帰途につきましたが、2時間ほどの滞在の中で十分学べるものは学んで来れました。