64回目の敗戦記念日

 私は、もう48年生きたとも言えるしまだ48年しか生きていないとも言える、どちらの側面もありますね。同じように、戦争終結侵略戦争の敗戦から64年も、もう、と、まだ、の両側面があるでしょうか。私には、「まだ」のほうが実感があるのですが。
 大雑把に、23,360日。365日×64年、はこの日数ですが、1日、また1日と積み重ね、今日を迎えています。まだ23,360日程度の過去の話に過ぎないんですね。戦争の体験はいつしか徐々に過去のものとならざるをえず、しかし、戦争が終わっても戦争が起こされる原因がなくなったわけではないがゆえに、いまもなお地球上においては戦争は現実の話です。
 支配と被支配。人間が本質的に同じ権利を持つ以上、支配する側がなにがしかの「大義名分」を見つけて人を支配をする、そのための道具として武力(暴力装置)が必要となります。戦争というものはその延長線上にある現象なのであって、要するに富の配分をめぐる不公平の政治がなせる業に過ぎません。
 抑圧される側が解放を求める行為にも戦闘行為はあるでしょうが、その差は歴然としています。さまざまな抵抗、非武装も含めて、理不尽な支配に対して解放を求める戦いは、先の第二次世界大戦以降、継続しています。私が5年前の参議院選で応援した喜納昌吉参議院議員民主党)のいう「すべての武器を楽器に」もすばらしいスローガンだと思いますし、ジョンレノンのイマジンだって歌い継がれています。

 歴史が変わることを、私たちは見てきました。
 
 私が若いころ、ソ連が崩壊するなどとは思わなかったし、ベルリンの壁が崩れるとも思ってはいませんでした。歴史は変わる、いえ、人々が歴史を変えてきたのです。今変わっていないからといってなぜ明日が変わらないなどといえるのでしょうか。

 長らく政権の交代がなかったこの国でも、地殻変動が起こっています。その変動を実感できている経験は最高です。この際、呼びかけさせていただけるならば、政治を変えたいと思うのであれば、ぜひ直接選挙に参加してください、ということです。あと2週間です。