幻の質問

 今回は質問できなかったですが、通告の中で、市長のリーダーシップや庁内合意、市民への情報提供の度合いについて、それぞれどう評価していて、評価の基準をどう持っていて、何点をつけているかを問うつもりでした。
 最近やたらと点数をつけるのが好きになった行政ですから、市長や首脳部がどのように自己評価をしているのかを知りたかったわけです。幻の質問になってしまいましたが。
 
 市長は就任から2年たち、総合計画も成立したわけですが、市長自ら多選を自粛する姿勢を示すための条例を成立させ、また政策会議(現経営会議)の議事録公開など、情報公開の理念を政策に反映させるなど、積極面は高く評価していいと思います。進め方に問題があった「中間処理施設建設問題」も、以前候補地と確定していた場所については候補地として断念することも明らかにしました。それは時間もかかったことや今後の対案についての責任など、課題のほうが多いという部分があるとはいえ、ようやく仕切りなおしをしたという意味ではぎりぎりのところだったかもしれません(あまり褒められはしないという意味ですが)。
 市長は自らが主張をすると職員が萎縮をして遠慮すると思っているのか、自ら決断を下したり宿題を与えたりすることをわざと控えているのかという(私なりの)印象があります。間違いかもしれませんが。私は、どんどん主張して活性化させて欲しいと思います。1日語るのが遅くなれば1日解決が遅くなることだってあるのですから。人はコミュニケーションを必要とする生き物ですから、どんな障がいを持っていても、赤ん坊であったにしても、意思疎通を求めるわけです。当たり前のことですが、意見なんか、みんな一人一人全員違うわけですから、そんなことを気にしていたってしょうがない。むしろ、みんなちがってみんないい、なわけです。違いを見つけて、一致するところを探す作業を先頭に立って行って欲しい。
 かつて、小泉首相(当時)が本厚木駅頭に演説に来たとき、最初に挨拶をした当時の市長よりも、当時県会議員だった現市長のほうが郵政民営化を持ち上げて大いに覇気のあるマイクだったことを思えば、あのくらいの押し出しがあったほうが(郵政についての内容はともかくですが)よいのではないか。全体を鼓舞する力にもなり、また違った意見も言いやすくなるというものです。異論を唱える者をいたずらに遠ざける姿勢を持つようでは(異論には真摯に対応するべき)、かつての体制が崩壊していったことを繰り返す危険が高い、というのが私の結論です。

 次回の機会に、同じ質問をする余裕は多分ないでしょう。同じ質問をする必要がなくなっていることを期待したいと思いますが、そうなるためには何かて立てが必要なのかもしれません。