教育論議

 先日閉会した12月議会、市立病院問題を中心にした医療、福祉政策についての一般質問が多かったことは一つの特徴ですが、あわせて教育論議もかなり行われ、教育長答弁も目立ちました。
 今回は、南毛利中の耐震工事の問題もあったため、ということもありましたが、ほかにも学校給食、体罰、教師の多忙化、などをとりあげてのやりとりがかわされていました。
 学校の施設整備や学校給食については、厚木市の行政としての姿勢が絡むので、大いに議論してもらいたい中身ですが、学校内部の問題について教育委員会の姿勢を正すようなものになると、どうしても教育委員会からの(上からの)統制、介入という側面が強くなる結果になることが多いため、質問にも注意が要るのです。
 現場が教育委員会のことを気にして仕事をするというのは一番よくない。現場は子ども第一のはずで、それ以外の要素を増やしていることこそ問題なのですから。
 ところで、2学期も明日で終わりになりますが、ある中学では交通事故で一人の教師が亡くなられました。担任を持ち、生徒指導担当でもあったため、学校ではその後のクラス運営を含めて大変だったわけですが、技術教師であった彼の後、技術を教える教師を確保することができなかったという問題がありました。これは神奈川県教育委員会によると、この年度で技術教師は7名しか採用しておらず、つまり、新たに配置する余裕はないということなのでした。
 いわゆる5教科であれば、学校内で何とかすることもできるわけですが、このところの指導要領の改悪によって音楽、美術、技術などについては授業時間が減らされ、したがって教師も減らされたので、学校内での対応はほぼ不可能。今回は臨時、非常勤の獲得も難しかったようで、数学教師が技術を、国語教師が家庭を教えることで乗り切ったようです。
 専門外のことを教えるという扱いをすることが望ましいはずがありません、が現実にはそういうことがよく行われます。国では教員採用枠は増やす(予算措置)、との報道もされましたが、教育だけに限らず、福祉・介護・医療など、人の手によって人のケアをする分野の人件費はほかの分野と考え方を分けるべきです。議会でも、ほかの行政分野は、効率性や事業成果などを求めることができますが、教育などでそんなことを求めること自体が無理な話なのですから。
 
 人間が育っていく過程は忍耐が必要。思い通りになんかならないことのほうが多いですから、そういう人間関係を面倒がるような世の中にさせてはなりません。それはむしろ、子ども社会についてよりも大人社会のほうに問われていることでもあると思われてなりません。