見通し

 今朝のテレビや新聞では、アメリカ下院での金融安定化法案の否決について、否定的な見解が目立ちました。マスコミの多くが「議会と大筋で合意」などとしていたため、結果を見通せなかったことに対する苛立ちがあるのか、いかにも下院の選挙前で議員が国際的な判断をできずに選挙対策をしたかのような嘲笑をこめた論評だったように思えました。
 一方、今日は国会でも代表質問が始まりました。政権交代が実現するかどうか、大きな転換点を迎えているというのに、マスコミの扱いは、いつもの国会の報道に過ぎませんでした。
 国民に対して、報道は、単なる傍聴者であればよいように問題を取り上げているように感じます。金融危機は、莫大な税金を投入すれば解決するというわけではないのです。29日付日本経済新聞のインタビュー記事では「米政府は不良債権買取機関を設けようとしている。方向感は見えてきたが、これですべて片づく感じはしない」(みずほ銀行頭取・杉山清次氏)や1日付「法案の否決は想定のうちだと思う。公的資金不良債権を買い取るにしても、米金融機関は多額の追加損失の処理を迫られる」(オリックス会長・宮内義彦氏)の記事に見られるように、危機は深く、政府の対応が後手に回っていることは誰の目にも明らかなのです。どうすべきなのかは、国民の声に従う以外の道筋はありません。だからこそ、国民が傍聴者でいるように仕向けてはならないはずです。
 そして、日本の行き詰まりは誰もが感じているはずで、国会論戦を「高みの見物」のように報じるのはよくない。そんなに余裕があるのか今の日本、と言いたくなる。国家としての展望を、国民自らが切り開き示していくことが必要なのだ。違いますでしょうか?