YASUKUNI

 観ました。

 私もずいぶん長いこと、平和遺族会の活動に参加をさせていただいています。毎年、8月15日に、「私たちの遺族を、英霊とたたえないでください」とアピールしながら祈りを込めて行進をしています。遺族の方は年々少なくなり、それでもご高齢でありながら、炎天下の道を歩く姿は、私たちを感動させ、私たちを勇気付けてくれています。スクリーン上に、菅原龍憲さん(真宗遺族会)があらわれ、思いを語るシーンがあります。それは、その問いかけは、あまりに真実であって、誰も否定できないだろうし、安易に答えることはできないだろうと思います。台湾遺族の悲痛な訴えからも、同様なものを感じるはずですが。

 聖戦に参加し、命を落としたものの御霊は国家のものであって遺族のものではない。

 あの戦争にかかわったものが、どのようなかかわりを持っていたか、ということで、これを是とするか非とするかが異なるというものでありましょう。再び戦争を起こしてはならない、という主張に隔たりはなくとも、具体的な道のりについては国論を二分する、その象徴が「靖国問題」でもあると言えるでしょう。事前の話題性から、上映延長をしている映画館もあり、まだご覧ではない方には必見だと申し上げたいと思います。

 亡き母を思い出しました。先年、癌にてこの世を去りましたが、東京大空襲を経験している立派な戦中派でありました。幼児期、大空襲で、目の前で親友が焼夷弾を浴びて死んでしまうという衝撃は、おそらくその後の人生にも多大な影響を及ぼしたことと思います。しかし、怒りの矛先というものが、時折はアメリカには向くこともありはしましたが、国家に対して向くことはさほどなく、疎開先で食べ物を分けてくれなかったという体験から農家を好きになれなかったりと、人間の感情というものはなかなか難しいものだということを私は学んでこれたのでした。
 愚行を繰り返さないために。人間はいつでも、賢い道を選択する自由はあるのに、時には愚かな道を選んでしまうこともある、つねにそことの(自分との)戦いの連続ではないでしょうか。

 平和遺族会全国連絡会の代表を長く務めてこられた津久井小川武満医師がお亡くなりになって何年になるか。映画鑑賞後は、あの元気なお声が脳裏にこだまする夜を迎えたのでした。