医療費とは

 後期高齢者医療制度に対する不満が続出しており、民主党は同制度の廃止案を参議院にも提出する方針を固めた、と報じられました。高齢者を直撃しているこの制度の存続か、廃止か、見直しかが争点となった国会審議に注目が集まることになります。
 
 廃止論を掲げると、必ずといっていいほどある逆襲は「代案はあるのか?」です。私の代案は「税金で支える」が原則ですが、与党国会議員のセンセイ方には、二言目には「財源をどうするんだ」となります。しかし、医療費とは、人間社会の発展にとって、あるいは維持にとって、支出を抑える対象ではありません。健康の維持によっての自然減は良いことでしょうが、それは社会の発展に伴う結果でしょうから話は別です。ですから、前提として、医療費を抑える必要があるのかどうか、という点をまず国民的な合意にしていただきたいです。その中で、先進国での比較や、医療に対する社会風土・宗教的観点の違いなども含めて、日本の医療のあり方が定まっていくと思います。

 たとえば、国民健康保険事業特別会計論議の中で、高齢者への支出が割合として多いことが示され、その際に私は、「それはあたりまえ」と言う立場で論じ、それを支えるのも「あたりまえ」だと、主張し続けています。そこで、高齢者だけ(後期高齢者)を切り離してしまったら、世代間で支えるという観点は喪失してしまいます。私はそれがもっとも問題であると思っていて、言われているように今回の新しい制度が「姥捨て」と言われるように、まさに「切捨て」なんです。
 では負担をどうするか、と言われます。医療費というのは、患者本人(家族)が受診した場合、まず原則的に窓口負担が生まれます。これが一番直接的な負担。この負担を軽減しようとすると、健康保険の保険料から捻出されることになります。小児医療の無料化などをすると窓口負担がゼロなどになりますから、このぶんは第一義的には保険料で支えることになります。
 しかし、保険事業も保険料だけではまかなっておれないし、支出の増大を保険料の増額でまかなうのも無理があります。ですから一般会計、すなわち税金から支えることにならざるをえません。そこで、税金から支えるとなると、今度は税収をどうか確保するのかという論議になって、「税金だって有限なんだ、そんなに回せるか!」との主張を持つ財務サイドとの攻防になるわけです。

 でも、医療を必要とする人を支えるために、税金を使うというのは極めて正しいのではないでしょうか。むしろ、そのことに税金を使えなくなったとしたら、税金の意味とは何でしょうか。国を支える原点の、税金とは何なのか、そこをはっきりさせてほしいと思います。
 医療費を、窓口で負担するか、保険料で負担するか、税金で負担するか、本人直接の負担度合いは後ろほど薄まります(第三者の負担が増える)が、負担をしていないわけではないのです。まして、最近の傾向からいえば、窓口負担を軽減されていると喜んでいると知らないうちに増税という形で負担させられていて、元も子もないという事態になっているのです。税金で支えるときには、誰がどのくらい、という点がさらに重要になるのです。