たばこ

 かつて、たばこが好きだった私が、禁煙から8年になろうとしています。最低限の分煙と歩行時の禁煙を希望する私ですが、小さな喫茶店などで分煙が物理的に不可能なお店などは、我慢しなくてはなりません。
 喫煙者にはわからないのですが、ほんの数分、喫煙スペースにいただけで、髪の毛や衣服、顔や手などに煙の匂いがついてしまい、しかもこれがなかなかとれないしろもので、不愉快になってしまう。広いスペースのお店では、分煙もしっかり確保できるのですが、小さなお店ではそれを期待するのも気の毒な話、喫煙者にとってはやっと安心してタバコが吸える〜と、一服しているので、これまた、その至福のときを奪うのも気の毒。あの煙さえなければ。

 私が禁煙したのは、タバコは好きでしたが、「吸いすぎをやめられない」ことと、「いつも必ずタバコのことを考えているのがいやだ」ということからでした。とくに、「次にいつタバコを吸えるか」とか、「タバコの買い置きはあるか」とかは、必ず頭のどこかにあって、タバコの買い置きのことが気になりだしたら、思考の50%以上は「タバコ」に占められてしまう状態に陥るのが常でした。こうした状態に耐えられなくて、決断はすぐに実行され、実行後は後戻りすることなく禁煙できたのでした。もちろん、家族、子どものアレルギーにも後押しされはしましたが、やっぱり「自分にとって」プラスの何らかの要因がないと、好きなものをやめることは難しいかもしれませんね。

 禁煙至上主義の方たちは、タバコへの課税強化を主張しています。健康を害し、他人の健康をも害するから、という主張は一見なるほど、とうなずく人も多いかもしれません。私は、そういうのは好みません。未成年者の喫煙防止とかであの青年識別なんたらも、本心では受け入れられません。規制を強化して保たれるものは、うわべの安寧でしかないと思うからです。禁煙至上主義の方たちからは、タバコを吸って癌になったら全額自己負担だ、という声も聞かれます。規制をかけるべき方向性を、きちんと見定めていく必要があります。

 ガソリンへの課税と環境保護の関係も、安易に結論付けないでいただきたいと。一地方議員ながら、そう言いたいところです。