飲水開始

入院も11月2日から、あっという間に1ヶ月以上が過ぎて、12月になってしまいました。ようやく昨日、腸閉塞の状態が改善し始めたことで飲水が許可になりました。ICUでは管だらけ(ナウシカに出てくる土鬼の皇弟のよう…)でしたが、もう腕の点滴だけになり、気持ちが楽になりました。

前回書いたのですが、大学病院は、昨年秋に胆嚢摘出で手術をしたときに入院した病院とは「ケアの密度」が格段に違う。3倍から4倍違うように思う。前回はICUではまるで身動きできずに猛烈に苦しい思いをしたのですが、今回はこまめに体位変換や血圧が少し下がると足を上げたり、何度も手がかけられてまったく苦しくはなかったのです。麻酔が効きすぎて右足が麻痺状態になったことはありましたが、それもすぐに改善されましたし。

いずれにしても、日常のチェックもしつこすぎるかなというくらいの「監視(?)」下にあって、そういう意味での不安はない。少しでも状態の改善に役立てばと、私が参加している音楽療法、というのも週に1回希望ができる。それはまさに大学病院であるからといえよう。

ただし、保険で保障される病床が少ない。いわゆる差額ベッドだらけなのだ。少ないので順番待ちの状態になってその間は自己負担である。わたしも両方経験していますが、一日6300円の負担の部屋との違いは、テレビが無料かカードかの違いと、鍵がかかる引き出しがあるかどうかだけなのです。どう考えたって一日6300円分もテレビは見ませんし、鍵がかかる引き出しはほしいですけれどそのくらいはロッカーでも提供していただければ十分だと思うわけです。オプションで高級な病室を希望したいという人に提供するのはかまいませんが(最高4万円台も病室まである)、多くの長期入院患者の負担を考えると、こういう形で自己負担が当たり前の医療体制は本質的に間違っていると思う。

私のような特定疾患はだんだんと負担上限が引き上げられ、潰瘍性大腸炎はあまりの患者増に対応するためにと認定そのものを切り捨てようと厚生労働省はしています。こんなふざけた話がまかり通っていいはずがありません。特定疾患は原因が不明で、軽症であってもその原因究明のために個人の医療データを国に提供するという約束をすることによって保障されている制度なのであって、患者が多くて面倒見切れない、では医療の責任放棄としか言いようがありません。

今日も議会では一般質問が行われています。退院が待ち遠しい私は、なお病院内で「闘病」というかたちではあるけれど、戦いに参加をしているわけです。