国家非武装されど我、愛するもののために戦わん。

 これは野坂昭如氏の著作。テレビを見ながら北朝鮮をやっつけろというふうに思わせるように誘導する危険性を私は感じていることを敢えて隠すつもりなどはない。国を愛するのはいいさ、でも愛するもののために戦うというのは大変なことなんだということ。俺は関係ないけど、誰かが戦ってくれるだろ、というものではないのだから。野坂昭如氏のこの著作を今でも私は真理をついていると思い外交を考える上での指針にさせていただいているのです。
 北朝鮮問題、テポドン騒ぎのマスコミの報道の中で、ネットを見ていて中日新聞の7月7日付社説を見てみようと思ってみた。おおかた、民主党をたたく論調が強かった中で、その記載はこうだった。

『小沢氏の描く外交戦略は小泉流の対米重視一辺倒でなく、中国などアジア諸国も大事にしてバランスの取れた外交を展開し、日本の安全と繁栄を図ろうというものだ。私たちも理解できる。そうした外交姿勢を鮮明にした訪中だった。
 折から北朝鮮のミサイル発射で、日本は国際社会との連携強化に迫られている。首相はブッシュ米大統領と電話会談し、国連安保理での制裁決議採択に向け、協力することで合意した。しかし、北朝鮮に強い影響力を持つ中国や隣国の韓国の首脳とは対話できない。首相や「ポスト小泉」には関係修復の義務がある。
 小沢氏は訪問先の天津市内で、記者団に対し、北朝鮮に対する経済制裁に慎重な考えを示した。
 国内では冷静さをやや欠いた制裁論が過熱している。与党だけでなく共産、社民両党からも一定の制裁を容認する声があがる中、「経済制裁は軍事力を使うところまでいってしまう」という発言は傾聴に値する。』(中日新聞7月7日付社説より、抜粋)

 民主党内ですら、感情と外交を混同する向きがある。人間は、仕返しをしたいのが人情だと思う。実の親や子どもを殺されたら、それは感情的には当然の思い。しかし、中東の歴史など、この地球上のいたるところにある、報復の応酬。とくに、アジアの歴史は孫子の兵法の道理ではないが「遠友近攻」に従い、新しい時代に即した「アジア圏」の創出にはまだ時間がかかりそうである。そして、その時間がかかりそうな要因を作り出しているのが、外交においてアメリカになんでもかんでも同調していこうとする主体性のない日本の姿があるのだ。
 
 日本の将来のために、いま何をなすべきか。