愛国心

教育基本法の「改正」論議の柱に「愛国心」問題があります。法律に愛国心の規定をすることで「国を愛する心」が育つというのが、まずもって理解できませんが、やっかいなのは一般論として「国を愛する心を法律で規定するくらい、いいのでは」というようにも思われがちだということでしょうか。

戦後の世界のありようも大きく変わったり、戦後日本国憲法が制定されたころから時代も変わったのは事実です。当然日本人の意識も変わってきています。まずは法律でいろいろ変える前に、国を愛する、という国はどうあるべきなのかがまず必要なのではないでしょうか。法律をいじる前に、憲法をどうするかの議論が国民にオープンにされていき、どういう国が愛するに値する国なのかをまずはまとめるべきではないかと思うのです。

教育基本法「改正」を目指す人々の中に「家庭の教育力」を明確に位置づけよう、という意見があり、「改正」の柱の一つになっていますが、これだって法律に位置づけたらどうなるというのでしょうか、まったくわからないのです。

まだまだ、疑問があって言いたいことも尽きませんが、いずれ改めてということにします。

昨日、18日付の朝日新聞朝刊に「問われる国の仕送り、地方交付税改革、分権論議の柱に」という記事がありました。私のホームページ、厚木市の新年度予算についての記事の中で、なぜ厚木市のような財政事情がいい自治体が、臨時財政対策債を19億円も計上するのか、また認められるのか、という疑問を述べました。それとの関連で大変興味深い新聞記事でした。

新聞記事によると、不交付団体は138自治体しかない。全体の6%だけだといいます。つまり、日本中の自治体は圧倒的に財政難だということです。介護保険サービスの提供も危うい、というような。しかし、国の改革の流れは交付を減らそうという。自治体に財源をまわすというのはいいとしても、実際は不均衡の是正にはならずに必要に応じた分配にならない可能性があります。

新聞記事でも、総務省が人口ベースで3分の1の自治体を不交付団体にすることを目標にしようとしている、と書かれていました。竹中総務相は「人口20万人以上の市のうちの半分」を、と主張しているらしい。

知られているように、このところの構造改革で、就学援助の国の負担が打ち切られて自治体の負担にされてしまいました。こうした形でそれぞれの自治体にすでにしわ寄せが来ています。不交付にする、という前に、自治体ではどういうサービスを提供するのが最低限必要なのか、そしてそのためにはどう財源を保証するのか、とそこから議論を進めて欲しいものです。そうしなければ、どんどん格差は拡大する一方になります。