許せないこと

(以下 FB に投稿した内容)

「売れる!」 と思えばぎりぎりの判断でGOすることの多い「週刊誌」という媒体。

センセーショナルでどぎつい、挑発的な見出しを見るだけで心拍数が上がってしまうようです。すでに「ネット社会」は人間の欲望に歯止めをかけることなく、その中で知りたいことも知りたくない情報も流され続けています。

そこからは「よい未来」なんて、展望できません。

そこからは「どうせ人間なんてこの程度の愚かな存在だ」とでもいうかのような、後ろ向きの感情から抜け出せない、刹那的な刺激しか得られません。

ひとびとは、より冷静さを失って堕ちるところまで堕ちるのか。それとも人間として踏みとどまることができるか。(2015年3月5日・あくまで個人的な意見)


また、日弁連会長のコメントも併せて記録しておきたいと思います。
ネットからとりました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150305-00002777-bengocom-soci より

●少年の実名等報道を受けての会長声明

本年3月5日発売の「週刊新潮」は、2月20日に神奈川県川崎市で中学1年生男子の遺体が発見された事件について、被疑者である少年の実名を挙げ、顔写真を掲載した。

これは、少年の犯行について氏名、年齢等、本人と推知することができるような記事又は写真の報道を禁止した少年法61条に反する事態であり、誠に遺憾である。

少年法は、少年が成長途中の未成熟な存在であることに鑑み、「健全育成」の理念を掲げている(1条)。凶悪重大な少年事件の背景にも、少年の成育歴や環境など複雑な要因が存在しており、少年のみの責任に帰する厳罰主義は妥当ではない。そして、少年による事件については、本人と推知できるような報道がなされると、少年の更生と社会復帰を阻害するおそれが大きいことから、事件の内容や重大性等に関わりなく、そのような報道を一律に禁止しているのである。

国際的に見ても、子どもの権利条約41条2項は、刑法を犯したとされる子どもに対する手続のすべての段階における子どものプライバシーの尊重を保障し、少年司法運営に関する国連最低基準規則(いわゆる北京ルールズ)8条も、少年のプライバシーの権利は、あらゆる段階で尊重されなければならず、原則として少年の特定に結びつき得るいかなる情報も公開してはならないとしている。

少年の実名等の報道については、2000年2月29日大阪高裁判決や、ネット上で既に実名等の情報が拡散していること、更には被害者側が実名等で報道されることとの対比なども議論されている。しかし、上記大阪高裁判決は、民事上の賠償責任までは認めなかったものの、少年法61条の趣旨を尊重した抑制的な対応を報道機関に求めており、また、ネット上での情報拡散については、プライバシー権等の侵害など、それ自体の違法性が問題となり得る。そして、名誉・プライバシー権保護の理念は、被害者とその遺族についても尊重されなければならないことはいうまでもない。

もとより、憲法21条が保障する表現の自由が極めて重要であるとしても、少年の実名等が報道に不可欠な要素とはいえない。事件の背景・要因を正確かつ冷静に報道することこそ、同種事件の再発を防止するために不可欠なことである。

当連合会は、2007年11月21日付けで少年事件の実名・顔写真報道に関する意見書を発表したほか、これまでなされた同様の報道に対し、少年法61条を遵守するよう重ねて強く要請してきた。それにもかかわらず、今回同じ事態が繰り返されたことは極めて遺憾である。

当連合会は、改めて報道機関に対し、今後同様の実名報道・写真掲載をすることのないよう要請する。

2015年(平成27年)3月5日

日本弁護士連合会

会長 村 越  進