雪の元旦

朝は晴れていたのに、まるで山の天気かと思しき雲行きに怪しさを感じながらも「広島あたりでもこんなに降っているのか、正月からこれは大変だ」などと他人事のように独り言ちていたのですが、あっという間にこちらでも雪がちらつき始めました。さほど大事には至りそうもありませんでしたが、市職員は出動した人もいらしたようです。

さて、あつぎ文化芸術特別大使の横内謙介氏が興味深い文章を大晦日のブログに掲載していました。

来年以降の議論のために、としたもの、昨日の時点での「来年」すなわち今年のことですが、ギャンブル、パチンコ議論。これは、基本的に、おおいに同意。

「もしもパチンコ、パチスロに税金掛けたいなら、博打を博打ときちんと認め、博打のなんたるかを誤魔化さずにしっかり考え、定義してその上でパチンコ、パチスロ以外の博打も、解放してゆくべきだ。」 ← いいね! であります。



http://www.tobiraza.co.jp/blog/entry-896.html


わたしは「選挙なんて最大のばくちじゃない?」と言われたこともありますが、たしかに人生、当落をかけた(賭けた)戦いであることは間違いないです。金のつぎ込み方も半端ないことや周囲に必要以上に迷惑をかける(こともある)など、ううむ、至言かな、と言わざるを得ないとも。

また、ギャンブルを肯定するというか人間のサガ的な感覚も多分そうなのでしょう。でも、仕事にかかわる自分としては、手放しでカジノを合法化せよ、とは言いにくいのも事実。だって、苦労をした人の話をこれまでたくさん聞いてきましたから。どあほう春団治、はそんなに一般化はできないでしょうからね。

で、わたしはギャンブルが問題というよりも、依存症のほうに問題を感じます。

アルコール、たばこ、薬物、あるいはその他、異性への依存なども含めれば、人間の弱さの分を救う逃げ道、としてどこまで社会的に許容すべきなのか、とても難しい問題です。逃げ道、遊びを否定しては不完全な人間は生きていけません。

しかしいっぽうで、ある者の逃げや遊びが他者を排撃する形をとることを認めてしまうわけにもいきません。

わたしは昭和の人間なので、居候や風来坊を社会、家庭が包容できる環境を大切にしたいと思うのですが効率重視の現代社会において、息苦しいと感じる人々をどのように支えるかは机上の空論をいくら並べ立てても役に立ちません。


横内氏の言う通り、この社会が、ホンネとタテマエ、でこの議論をしているうちは逆にギャンブル依存症は減らないと思います。たとえば、カジノに行く人々が必ずしも自律的であることはありえないので、入院の際に同意書のようなものを書かされますが、同様に、私財を投げうちすぎない歯止めを「自覚」させて遊ぶ、というような形をとらざるを得ないかも。連帯保証人付き会員証、とか。つまらんかなー。

遊びすぎ、道楽者の生活の破たんくらい、笑い話だろう、と言いたいむきもわからなくはありませんが、カネにまつわる凶悪な犯罪を誘発する危険性がある社会でもある以上、本意ではなくてもセーブをかけないといけない、と考えるのは今の自分の商売からくるものでしょうね。ご容赦ください。

横内氏が期待する議論はどのように、どの場で繰り広げられることになるのか、この一年の推移に注目してみたいと思っています。年頭にあたっての思いです。