ひとまず速報

一般質問、出番無事終わりました。

目標としては、「簡単に信じ込まないこと、例えばきちんと資料の写しを求めること」「あのとき気づいていれば、と職員が語るとき、あの時点で気づいてあげられる位置にいたか」を、嫌われそうですが、肝に念じ、質問にのぞみました。


それは、たぶん大丈夫であろう、と善意に解釈することがいかに危険なのか、をまずは当面知るところから、と私は思ったからです。ですので今日は細かくしつこく、だったでしょう。ちゃんと文書が残っているのか。それに関わった責任者は、つまり部長は誰なのか。

全面的に行政や教育委員会に責任があるのではありませんが、しかし相対的には当然、大きな責任はあると言わなければなりません。ほかに救える可能性は低かったのですから。


だからいまは相互に厳しくならなければ。意識的に、我が子をしつけるが如く、厳しく。


それは必ずためになる、と信じて。


厳しくならないまま、どんな会議を、どんなメンバーを集めてやっても、同じことでしょう。それはかたちだけの反省だということなのです。


平成20年、頃。まだ先代の副市長、がいらした3月まで、新しい副市長に変わった4月あたり、行政も新しい体制への過渡期を迎えていた時期であったことに気づきました。柳川−落合ラインに年度が変わって曽田さんが加わって、いました。


それが、各種事務に影響を与えたとまでは言えません。が、あの時点での当事者の直接的責任が、自覚されなかった可能性は否定できないのではないか、そんな気がするのです。