鶴竜横綱

niginigi32014-03-26

 画像は木曜日の朝刊、つまり水曜までの段階では両横綱がリードして残り4日間という取り組み状況だった春場所鶴竜がその後一度も敗れることなく、初優勝して横綱に。モンゴル出身横綱3人目よりも稀勢の里が、と期待の向きも多かったでしょうがある程度予測はできていて、しかもそのあとの北の富士さんのリアクションも予想どおりでした。誰かしらが言うでしょうから相撲協会としての正式コメントではないぶん、気にしなくてもいい程度かもしれません。

 が、当然スポーツは(ほかでもそうですが)負ければ悔しく勝てばうれしい。日本人横綱から遠ざかっていることについて、意味のない識者の不満や愚痴はかえってファンの中にうっぷんをためることにならないだろうかと気がかりです。また、日本人横綱が次に誕生したときには過剰な騒ぎになりそうでもあり。

 スポーツとナショナリズムの連動?はやむを得ない面もあるでしょうが、スポーツマンシップの良いところは競技者は国籍を問わず最高のプレーを目指して全力を尽くしあうこと、ではないでしょうか。思想信条政治体制の違いによって差別をしない。そうした意味では過日の浦和の事件は厳しい反省材料、と戒めておきたいと思います。

 
 私はスポーツ愛好家の一人として、のポリシーですが、メダリストの背景にはたくさんの支えがあることを忘れてはならない、をモットーにしています。そして支え手の大事な要素である観客になることを楽しんでいます。メダリストは当然本人の資質や努力、も第一の要素ですが、たとえば練習相手、またはライバルの存在、栄養や体調を管理してくれる人々、トレーナー、さらに、観客の応援はとても大切な要素といえるでしょう。だれも見てくれない場所でプレーをするのはおそらく力の入り具合が全然違うのではと思います。これはもちろんスポーツに限りませんが。

 
 昨日、教育委員会の定例会を少しばかりの時間、傍聴しました。久しぶりです。平井教育長になってからは初めて。相変わらずいろいろと注文はありますがそれは正式な場で、順を追って取り上げていかなければなりません。で、昨日の議題に「厚木市スポーツ推進計画について」というのがありました。そこで、今日はスポーツについて書いたわけです。

 とにかく、スポーツを、なにがなんでもアスリート養成、のような位置づけはいかがなものかという感じはします。どうしてこう、猫も杓子も、という状況になるのでしょう。新年度はスポーツ政策課、と名称も新たに、しかも市長部局にある「市制60周年担当」にも「オリンピック、パラリンピック担当」もくっつけられて。こういうふうにしないと、おそらく「ヤル気あるのか!」的な叱責を受けるんでしょうか。

 冬季オリンピックで注目されたカーリング、は知的なスポーツとして知られます。そもそも、スポーツの定義では、日本はフィジカルな面を鍛えることを前提にしているけれど、知的領域を競う部分も含めてスポーツだとする考え方もあるといいます。

 以前、体罰、暴力事件のコメントで共感したのが桑田真澄さん、山口香さん、ですが、昨日の日経新聞のスポーツ欄のコラムで山口さん、いいことをおっしゃってました。

 <一部引用、スポートピア、日経2014年3月25日朝刊、山口香、筑波大大学院准教授
 (前略)2011年施行のスポーツ基本法では、「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことはすべての人々の権利」だと明記されている。うまい選手も下手な選手も、好きなスポーツを楽しむ権利は等しく持っているのだ。
 その点で今の日本には課題が多い。学校の部活で試合に出る機会をもらっても「私はいいです」と遠慮する子がいる。好きでやっている競技なのに、自分は下手だから迷惑をかけるといって尻込みしてしまう。
 本来、失敗の経験ができるのもスポーツの良いところ。失敗して悔しい思いをして、次は頑張ろうと誓って重ねた努力が実る。そんな経験が社会に出たときに生きてくる。せっかく自信や自己肯定感が身につく場なのに、「自分は駄目だ」と挫折感だけを味わって終わるのでは悲しい。(後略)


 周囲の状況に沿わないのも難しかろうが、沿うことばかりを追い求められないのが人間社会、特に現代の難しい社会なのではないか、そう思うがゆえに、教育関係者の熟慮を期待したいところです。


■気象通報の放送縮小残念

 子どものころから慣れ親しんできた、気象通報(NHK第二)が、これまで一日3回放送されていましたが、この4月から一日1回、になると聞き、今日NHKに電話してその理由を聞きました。

 いまはインターネットの時代、漁業関連者は9割がラジオ以外から気象情報を得ている、と調査のうえでの判断だといいます。

 一般の聴取者(私のような)は?

 とくに調査はないが、ただ山岳関係者はインターネット環境がない場合があり、要望はあるようで、そのため一番関係者が聞く時間帯の午後4時の回を残すことにした、というのが回答でした。

 時代なんですね。一日1回だけでも残ったことで良しとしなければならないのでしょうか。公衆電話と同じ。一般の人は確かにあまり、興味はないでしょうなあ。

 深夜に、NHKの予算についての審議を放映していた、たまたま考え事をしていたため目が冴えてしまい、つけていましたが、放映は(たまたま)維新の質問ばかりでした。 なかにはうなずける質問もありましたが、いっぽうで会長の発言を是とするような、そうした趣旨の発言もあり、ずいぶん違和感がありました。深夜とはいえ、NHKのことだからしっかり放送するわけで、ほかの委員会も録画放映が可能ならばもっとやってもよさそうですが(視聴率関係ないから)。

 NHK、といえばたいがいテレビのことが主要な話題ですが、ラジオ、の存在も捨てたものではなく、あるべき姿について、議論をしていただけないものか。気象通報が生き残れるかどうかは心もとないですけど。