修学旅行問題
なぜ小学校の修学旅行先が日光なのかについては、たいへん疑問であるのですが、今日たまたま「厚木教育情報ネットワーク あつぎまなびネット」のページに行き当たり、日光修学旅行に関しての教育委員会としての考え方がわかる資料が掲載されていたので記録しておきたいと思います。
http://swa.edu.city.atsugi.kanagawa.jp/swas/index.php?frame=frm4b81dee45b488
随所に本来は争点となるべき内容が含まれています。たとえば以下。
「独立行政法人放射線医学総合研究所への確認では、毎時0.3〜0.4マイクロシーベルトの土地に48時間程度の滞在や一時的な通過に関しては、健康への被害はないものと考えてよいとの見解を得ています」
教育的見地から言って、48時間程度ならば大丈夫だと子どもたちを旅させるその先には毎日暮らしている人々がいる、そのことに思いを馳せる必要が全くないというのが私には皆目わかりません。
教育委員会が理解していないのは、私が修学旅行先に日光を選ぶことに違和感を抱くのは、もちろん我が子(たち)が心配というのもありますが、なによりも日光の汚染の状況自体に無頓着な社会的風潮を認められないからなのです。
おかしい!
なかでも、平和の問題などには熱心である先生であっても、この問題になるとなぜかほとんど政府と一体で、放射能たいしたことない論者となって気にしすぎだという説を振りかざしてそうした専門家の意見に依拠するのです。
それを、安全神話、と呼ぶのではないでしょうか。そうして、我々は、大切な日本の国土を平気で汚染してきたのではないでしょうか。反省しなくてもいいのでしょうか。反省するのは、従来の政府や官僚や東電だけでいいのでしょうか。
日光をそのまま受け入れることに抵抗することはイコール安全な日光を取り戻すことに熱心になることなのです。教育委員会にはわからないんでしょうが、そういうことです。
その他にも、日光の汚染について「日光市民の方が数値の公開請求をし
たところ、ほとんどの数値を黒塗りして渡されたそうです。その数値が大変気になります」という質問項目を掲げて、それへの答えが
「日光市に問い合わせて確認したところ、民間施設内の測定結果の公開については、施設管理者の同意が必要なため、黒塗りの箇所があるとの回答でした」
でした。だからどうだと言うのでしょう。
考え方の違いは尊重しますが、私の意見もきちんと受け止めていただきたい。
■国連
10月24日は国連が誕生した記念の日だということを知りました。
1945年、ソ連の国際連合憲章への批准により、発効に必要な20か国の批准が得られたため、国連憲章が発効し国際連合が発足した、ということのようです。
国際的な紛争などの処理、対応に苦労することが多い国際機関だろうと思いながら、昨今の国連改革に思うところは多くあります。
領土問題をめぐる対立などを調停する役割などはもっと積極的になってもいいのではないかと思います。問題の所在は明確で、一つには、大国による拒否権が今もなお続いているということです。
アラブの春、などの国際的な新しい情勢に、アメリカ一国ではかつてのように対応することができないことがわかりました。とくに今回のシリア問題への対応がいい例だと言えます。だからなおのこと、本来は国際的な機関の出番なのです。
ローカルな利害のことを考えるなとは言わないまでも、グローバル社会、世界になった今、地球的な視点で政治を行うことにもっと力を入れなければなりません。とワタシは思っています。
厚木のことを考えながらも、世界を展望するのです。