消去法的選択

 東京でオリンピックが開かれることを地球人として考えたとき、当然世界にはまだオリンピック未開催地は多く、なぜ半世紀の間に再び、との疑問を抱くでしょう。しかし一方でまた、私達の知る現実は。そもそも、開催地の選考は、政治を反映せざるをえないし、別段公正、公平といった観点で厳しく審査されたりあるいは異議申し立てが認められているという話でもあるまい、と。


 放射能汚染対策が蔑ろのままであるいは開催によってうやむやにする危険性を思い、東京開催には乗り気ではなかった私。しかし、ひょっとして、選考にあたった人は、こう考えたか。


 トルコやスペインだと、政治危機をより深刻化させ、そして危機が経済的に苦しい人々を直撃する度合いが、東京開催よりも高いかもしれない。どうでしょう。北京のときも、バブル経済を生み、二極化を拡大した、それは「先進国」での開催の比ではなかったのではないか。その経験を経て、ある程度のインフラ整備、世界第二位の富裕国の首都、による相対的優位性を感じとられたのでは。


 みな喜んでいるお祝いムードのさなか、かような発言をしたところで、無視されるのがオチ、でしょうか。



■総務の委員会


 決算の審査を除いて、今日は約1時間半、議案審査と採決。

 一般会計補正予算、採決は反対しましたが、債務負担行為の増額補正(仮称あつぎ元気館の施設管理業務委託、3年分で上限5億1千万円)、と財政調整基金への積立が国庫支出金によって(5146万1千円)なされていること、を主な理由としています。説明をいくら受けても、なんでもあり、の国庫支出金、こういうかたちで予算計上できるのは理解に苦しみます。財政を預かる当局からすれば財源確保の至上命題をクリアしてどこが悪い、という話でしょうが、地域主権の確立に基づかず国にいいように支配されている構図に違和感を覚えてほしい、と思うわけで。政治の分野の話です。


 陳情は消費税増税の中止を求める系のものと公契約条例を神奈川県でやれと求めるもの、について審査。議会報告会で参加者の市民から、賛成反対の意見を述べてほしい旨、ご意見をいただいており、当時の副議長がうまく受け答えをしていましたが、やはり日本は異なる意見を出し合い、よき結論を導く、ということについてはこなれていない、と感じてしまいます。
 消費税増税関係は私だけ賛成での不採択、公契約は3人対2人で継続審査に。なお、本会議ではどうなるかは現段階では分かりません。