かつて

 小選挙区制、が導入されようという頃、反対するために国会に連日通ったことがあります。多くの国民が国会周辺に参集していました。当時社会党、が導入の是非をめぐって賛否が割れて、分裂の下地となったことを記憶しています。小選挙区制は政権交代が可能になる、というのが最大の導入に向けた誘い文句となっていて、見事に世論を形成したものでした。

 今日は厚木市議会では、環境教育常任委員会、議案はなく陳情審査、控室にて傍聴しました。金田におけるごみの中間処理施設建設問題をめぐっての陳情、2月議会に白紙撤回を求める陳情が不採択となったことを受けて再度、地元から計画に反対する陳情が出されたのです。

 結果は今回も不採択となりましたが、陳情項目2、にある
2 厚木市の、住民意見を無視した強引な「新ごみ中間処理施設建設」の候補地選定、計画の進め方を改めるよう、議会から厚木市へ要求してください。
 には理解すべきとの主張も聞かれました。
 
 行政が動いている段階での議会の関与の仕方というものは、どうしても一定の拘束を受けます。とくにこうした地元を二分するような懸案についてはなおさらです。慎重になるがゆえに身動きできなくなるということがあります。

 突き詰めて言えば、個々人で意見は必ず対立します。時間をかけて対立を和解させるか、対立を表面化させて和解を目指すことを放棄するか。

 皆、悩むところです。

 ただ、いままで私が経験した中では、継続審査、がもっとも玉虫色で、議会的にはいいかげんにみえるかもしれませんが人類の知恵、のようなもののように思えます。私は、賛成、反対がはっきりしているのですが、強引に決められるものではないし、議会の関与の仕方としてもそこまでは権限がないでしょうから、いたずらに世論を動かせません。ただ、どう考えるべきなのかを、あるいは行政がとるべき手順はどうかを、提案することくらいまでは許容されるでしょう。


 小選挙区制導入時、あの強引な白黒のつけ方をみたことを思い出すにつけ、また昨今小選挙区制への不満を、当時賛成した議員などからも聞かれることを知るにつけ、議決、決定の段階の難しさを思うのです。