雨水を過ぎても雪

niginigi32013-02-19

 昨日は二十四節気の雨水でした。立春が暖かだった今年、それでも雨水を過ぎてなお今日の厳しい寒さには驚きました。昼ごろからは相当の降雪がありました。明日の朝は凍結が心配されますが、夕方には本厚木駅前で、凍結防止剤を撒く職員に会いました。

 先週末の中央本線途中駅、瑞浪駅で乗り継ぎの電車を待つ間、ふとベンチを見ると写真のような座布団が。これは地元高校生が作ったもののようです。とても寒い地域ですから、こうした心こそ、おもてなしの精神なのでしょう。暖かな心を感じることで嬉しくなるものです。

 さて、いくつか紹介したい文章などがあります。今度の一般質問で「暴力」について取り上げますが、それに関連するもので、記録の意味を込めて簡単に触れておきます。


お金のないところに体罰あり!?(週刊朝日・池田教授の机上の放論、2013年2月22日号、より)

 以前ここでも書き記したとおり、教員の駆け込み退職叩きについて。池田清彦氏は、かなり私の視点に近い考えを述べています。

 「なぜか知らないけれど、先生は無報酬で滅私奉公して当然という風潮が強すぎる。これが一方では無能力な教師を作り、他方では体罰教師を生む元凶である」

 「(早期退職を選択する教員続出について)父母の中には『子どもよりお金を選ぶなんて信じられない』との声もあると聞くが、私にはそんなことを言う人があることの方が信じられない。一月末に辞めないで三月末まで働くと、実質的には二ヶ月間を、お金をもらうのではなく、お金を払って働かせていただくことになる」

 要するに、資本主義の論理ではありえない、と言っているのです。かたやいっぽうでは、世の中は資本主義だからということを理由にして規制緩和などを求めるくせに、教育現場には全くこの「資本主義」もへったくれもないのです。おかしすぎる話。この教授はこれだけ言いたい放題を言っても、叩かれることはなかろうし、職を追われることもなかろうが、現場からこの声を発するものならば、途端にバッシングを受けること確実でありましょう。そんな世の中で、暴力一掃など、ちゃんちゃらおかしい、というのが私。私も叩かれますでしょうか。

 そしてこれも以前書いたとおり、教師に味方が出来にくくしたのは間違いなく教師でもあります。そのことは、頭脳明晰であろう教育者たちにはやはりよくよく考えて欲しいことです。つまり「なぜ、きちんと抗議しなかったのか」です。子供たちに未来を見せるためには、大人たちは、こんな負け方を示していいはずがありません。辞めて解決。そんな消極的選択を、子どもたちに示して教育者と言えるのか。

 室井佑月氏も、そのあたりはずばっと指摘していました。放射能測定をしたいと親が言っても協力的ではなかったことなど。日常的に、教育現場にいながら教育を行うことから遠ざけられた職業になっている。異常な世界であって、体罰やいじめやその他非人間的な見せかけだけの平和で民主的な社会を作っているだけなのです。

 言っておきますが、毎日毎日、何十人もの子供たちを相手にすることができますか?毎日です。一人だけでも大変なのに。

 それをやる専門職が教員。彼らを遠ざけたのが世間であり、遠ざけられた彼らがまた自らを守ることに汲々として世間から遊離していったのだと私には思えてなりません。

 
「暴力は閉鎖社会に育つ」(中外時評、2月10日日経新聞朝刊、論説副委員長・大島三織氏)

 日本経済新聞の面白いところは、1面周辺の論説から離れるに連れて時折、日経らしからぬ(?)論調の文章が読める点であるかもしれません。

 「旧軍の宿痾だった陰惨な私的制裁。自衛隊はその流れを断ち切ったのに、それはなぜか、学校やスポーツの世界に受け継がれてきた」

 陸軍古兵の狂気と現代の体罰は同じ根がある、という論者の指摘は共感できます。「わたしたちの社会のいったい何が、そういう無法を横行させているのだろう」と。

 江森一郎氏の「体罰の社会史」を紹介し、徳川光圀体罰反対論者であったことに触れています。この著書を読んで確認したいと思います。

 重要な指摘は、とくに以下のように述べているところです。

 「外の目が届かず、同調・横並びを強いる学校空間やスポーツ指導の場の体質をこそ変えなければならない」

 私のような議員は、このような文章に出会うために仕事もし、そのことを通じて言論で世の中に訴えることができるけれども、現場は毎日が戦いで、この文章に出会う暇すらなくなっているのが現実でしょう。彼らから考える時間を奪っていることが問題の解決を遠ざけているとも言えます。

 現実の現場の教師たちはいま、年度末の対応に追われたり、受験のまっさなかでなんのゆとりもないかもしれません。(たとえば公立高校入試が19校定員割れ、など。それもそれとして大切な問題ですが)


 自分の問題に引きつけて、真剣に取り組まない限り世の中は切り開かれることはありません。