権力闘争

小沢氏が率いる新党構想を、なんとしてもつぶさなければならない、これが今の政治の権力を握る側の意思で、もちろん強力です。

マスコミはこれまで同様、「不毛な権力闘争」の図を描き出し、国民に嫌気を植え付け無力感を創出するのに躍起になっています。

しかし、今の政治を動かしている最大の力は明らかに国民です。絶対にこのことをマスコミは認めるわけにはいかないわけです。現体制を維持する中で生き延びる選択肢しかないと、判断を下し、消費税増税原発再稼動をやり遂げるために「尽力」しました。

ですから、新党は大衆の支持を得にくい状況で、裏切りというと大袈裟だし寝返りというほどの役割を担っていたかも疑問ですが、寄らば大樹になるのもいたしかたない部分もあるのでしょう。

幕末。国の行く末を憂えた下級武士たちは、藩論統一のために等、内部での闘争は熾烈であったはずで、長州は長州で、土佐は土佐で、あちこちで、新しい体制を見ることなく討ち死にした若者が多数いたでありましょう。

時代がどれだけ変わったとしても、政治の本質は変わらぬわけで、国民が最終的には望む姿にならざるをえません。犬猿の仲の薩摩と長州が同盟を結ぶに至る紆余曲折を知らない人はいません。


さて、現代。親分に命預ける方式が、現代に通用するかは私には心許ない話ですが、そのことを主要な問題としてとらえる必要は皆無でしょう。あくまで、彼らは先陣を切った、その役割を果たした、ということ。問題はこれからです。参議院採決前後にどうするのか。内閣不信任まで状況を作ることが可能なのか。

既成概念にとらわれた政治家はどんどん取り残されていくでしょう。問われているのは柔軟な先見性です。