予算の議会も終わり

 ついに春一番が吹くことなく春分の日を迎えてしまいました。季節の移り変わりに敏感であることは、人がよりよく生きていくうえでも大切なこと、毎日の仕事に忙殺される中でいかにちょっとの間でも季節、や自然、を感じることができるか。

 予算をめぐる議会も終わり、23人の一般質問登壇や、最終日の討論に9人(10件)が立つなど、議論の時間も足らなかったような感じさえある議会だったことを思い返しています。
 多くの注文がついた予算執行について、行政当局がきちんと対応してもらえることに期待しますが、議会のあり方を含めたシステムの課題も同時に感じた議会でした。議会側における意見の違いをどう調整するか。議会の意思を(統一できたもの、一致点が確認できたもの)自治体に対してどのような拘束力を持たせるか。意見が異なる課題は市民の前に、争点としてきちんと提示させられるかどうか。など。
 
 一般質問前に担当職員と議論した点で、総合計画第1期実施計画の総括を巡って市民満足度の調査があまりにおかしいということがありました。子育て環境の充実、という項目は平成20年度の満足度が35.9%、21年度が36.2%、それが22年度には46.0%、で22年度目標の40.0%は達成という。高齢者福祉の充実、は40.9%→29.0%→54.1%(目標43.0%)。障害者福祉の充実、は32.1%→27.3%→47.5%(目標34.0%)。などなど、基本的にどれを見ても、相当のアップ、これはちょっとさすがに。と思って疑問を申し上げたところ、調査方法を変えたということ。変えた調査方法の方向性は正しいと思われましたが、途中で調査方法を変えたら目標設定も変わらざるをえないともいえるわけで、疑問が残らないわけではありません。

 いずれにしても、予算の議会は終わっても、総合計画の総括はいまもなお行政と議会は共通認識になっていると思えません。議会、という意味では総括を共有できることが目的にはなりません、それは当然28人の議員が統一した見解を持つことは必要ではないからです。それぞれの議員の異なる意見がきちんとそれなりに反映されていかねばなりません。議論の結果で、それがどの程度反映されるべきかは本来そこにこそ議会の見識と責任が問われる「見せ所」だと言えるのではないでしょうか。

 通年議会には課題も多いし、機能しない議会では日程だけアリバイ的に消化することだけになりかねないという面もあろうかとは思います。しかし、実態は、議会関係の、各種委員会も含めると相当の拘束になっている現在。調査や研究に費やす時間も今まで以上にほしいのはまさに本音です。時は金なり、です。