7月

 7月に入りました。蒸し暑い日々は続いています。すでに今年も半年を過ぎたということに、時間の経過の速さを思うところです。

 ところで。
 子どもの頃、野球、サッカー、相撲はたいがい誰しもが遊び、そこそこルールもわかり、楽しんだものです。とくに、私はなぜかある時期相撲が強く、さらになぜか行司が好きで、木村庄之助式守伊之助に強く憧れたのでした。
 かばい手や勇み足、きわどいうっちゃり、よく判断できるものだと感動したものです。しかし、物言いの際に、土俵下に座る審判の親方たちに勝負の判断の権限がゆだねられるのには昔から納得がいきませんでした。審判が絶対、ではない世界なのです。「ただいまの協議についてご説明します。行司軍配は〜」などと説明するのは審判部長の親方。せめて説明は行司の責任で行うようにならないものか。
 などと、相撲の世界にはあれやこれやと思い入れがあった幼少時代を経て、そのことととくに関連のない生活を送る日々となり、相撲が純粋スポーツ、競技としての地位を獲得していないことに改善の余地があることを記しておきたい。私は、とくにその方面の専門ではないことは前提ですが、何度か朝青龍問題にも触れて「国技」だの伝統だので縛ることに対する違和感を申し上げてきました。興行的な要素がほとんどであるにもかかわらず、つまりカネなるかどうかを重要な要素として運営しているのに、カッコだけつけているという印象。もっとスポーツとして健全になどという面を育成するなら、年6場所のうち1回は技術点を審査、得点を競うなど、興行的な要素を抜きにした協議として行うなどの工夫があってしかるべきではなかったのか。タニマチといわれる存在も含めて、伝統を否定はしないが、外国人力士をこれだけ雇用している以上、国際化した競技への脱却も必要だと私はかつて述べたのでした。
 これでいったい何が解決し何が改善するのやら皆目わからないままですが、名古屋が経済的打撃を受けないというレベルの話であれば釈然としません。政治の話題の取り上げ方もさることながらマスコミの表層的な「ニュース」の提供は、私たち人間から考える力を奪うことになりかねないと懸念するのです。

■議会の在り方検討会
 いよいよまとめになってきました。今日は議長への答申の内容を協議しました。まとめの表記の仕方など、それこそ、てにをはまで含めて意見を交わしました。ここにいたるまでの議論の経過を詳しく知るものは会議に参加したものに当然なるわけですが、時の経過とともに記憶は失われるもの、答申がきちんと今後に反映されてこそ、すなわち結果に反映されてこそこれまでの長い議論の価値があったということになるのでしょう。
 とくに、今後、市民への議会広報のあり方には工夫改善が求められるはずです。どういう形であれ、きちんと結実するように、期待もするしそういう意味でプラスになるようにかかわりを続けていきたいものです。
 なお、私の意見はかなり遠慮なく述べさせてもらってきましたが、少なからず多くの議員に何らかの参考にはなった意見を述べたというつもりです。またその逆に、議長任期の問題その他、経験者のホンネなども大いに参考になりました。
 形式にとらわれすぎず中身の濃い議論を重視する厚木市議会のあり方には、他の地方議会議員からも注目されていることは事実ですし、おそらくはシティセールスの中に加えていただいても遜色ないと思われます。地方によってはまだ委員会の会議録すらとっていないところもあるようですし、ましてやインターネット中継などとは、と驚かれることしばしです。