先進国の都合

 今まで、先進国の繁栄を支えてきたのは先進国ではない国々の、安い資源や労働力であり、市場でした。その安い市場が世界的に均一化していくことによって喪失すれば先進国の「危機」になります。「食糧危機」とはいっても、今まで好き放題食べることができた先進国諸国の国民にとって我慢が強いられるだけの話で、もとから資源供給国、一次産品供給国国民は生産する役割はあっても、それらを消費することはできないほど貧困であったりしたわけです。
 諸説ある中で、その危機を増大させている主因は、わかりやすくいえば中国とインドなどの需要の増加であって、投機マネーではない、というものをよく見ます。先進国に都合のよい「経済学」や企業の論理、メディアを含めてですが、そういう匂いだらけで、窒息しそうです。
 たとえば世界で一番、ならずものであった国は、他の国がならずものになるのを「許さなかった」というだけの話で、世界を、世界経済を牽引していたアメリカの没落を、世界を支えていた体制の崩壊として嘆くのは愚かなことではないでしょうか。朝日新聞の論説で「世界の自由貿易がむしばまれつつある」と警鐘を鳴らしていましたが、アメリカ発の新自由主義なるものは、資本主義の当然の帰結であって、自明のことであり、「第2次世界大戦後の米国中心の国際経済秩序と冷戦後の米国一極の国際政治秩序がほころび、世界はグローバル化するにつれ、無秩序と無極化の様相を呈している」も必然であろうことを、まるで無極化を恐れているようにとらえているのもあまりに正直ではありますが、論説としては一面的過ぎるように思えます。
 そういう視点で読むと、すべてが結局は自国に都合がよければよい、という姿勢で語られているだけで、底の浅い話。また、誤謬の流布にならなければよいと思いますが、先進国で世界の富を享受することに慣れてきた頭脳は、耳障りのよい言葉以外は受け入れられなくなっているかもしれません。洞爺湖サミットで守ろうとする秩序とは何かを注意して見守ることにしたい。