思うこと

おもに雑用だけで一日を費やさざるをえないときがあります。時間、が有限であり貴重なものだと実感することになるわけですが、時の流れが人によって異なるのではないので時間は公共のものとは言えないでしょうか。また同様に空気も。空気に所有権が発生したら、相当大変ではないか、などと考えてみました。

そんなことを考える時間はムダで、貴重な時間を有効活用していないだろう、との批判が成立しそうです。


今日、小学校の修学旅行について、説明がありました。授業参観のあと、体育館で。行き先がまだ確定していない、とのタテマエで形式を追う儀式のようなものではなかったか。



日光しかないことを半ば説得するような仕掛けは学校にとってはオテノモノでしょうか。代替案は岐阜方面しかない、旅行会社に出させたらそれしかなかった、と言われました。ひどい旅行会社だなあ。


時間があることや空気があることに感謝する気持ちを持てるように、大人社会がゆとりを実感できないといけない。修学旅行が子供達にとって、一つでもいい、なんらかの感動を得る機会となるように。忙しい学校現場ははたしてそのように脱皮できれだろうか、または私は、そのような導きを与えることが可能か。

脳内はぐるぐる回っています。