この天気は

 選挙戦真っ最中の時期、昨日から今日にかけてのような天気はとてもつらいものです。

 私は代表者会議に出席するために市役所に。今朝からどうも腰が気になるなあと思いながらエレベーターに乗ると長身の議員がすでに乗っていてそこで一言二言かわし、応接室に向かいます。議長の任期もそろそろということで、開かれた会議で、臨時議会招集についてなどを協議。隣席の議員と「気圧が低い、こうした天気は体調に影響がないか」というようなたわいのない話もして、神経を休めてみたりしていました。

 資料請求の関係で調整のために職員と控室で、30分ほど話をし、昼の休憩時間には流れるニュースを聞いていました。

 250万円をだまし取られた、手渡し型のサギ、を伝えたニュースを聞いて、たいがいミスをした穴埋めを依頼して電話をしてくるのは「ムスコ(もどき)」、であることに気付き、男ってのはアイツナラヤリカネナイと思われるものなのだろうと、あらためて性差の問題に意識が向かいました。このあたり、なにか分析がありますかね。

 儒教国家であるならば(私はとくに肯定もしていないのですが)おそらく親が子供の失敗の後始末をするという指導はあり得ないのではないか(未検証)、時間がないので深めませんけれど、そんな親不孝をたしか認めるような教えではなかったような記憶が。

 ともかく、信心あるものであれば、たとえばキリスト教ならば、神父さんにまずは真っ先に相談に行くのではないだろうか。出来の悪い息子がこれこれで、と、どうすべきかお示しください、などと神の導きを求めるべきであろう。神、でないまでも、身近に道を説く、お師匠さんであれ和尚さんであれ、そこそこの他人の意見が冷静さを提供するであろうことは、人間社会を生きていく上では必要な智慧であったろうとも思うわけです。

 人間社会を生きる知恵、今必要なことは私はそこに尽きると思います。

 
 さて、選挙の時に聞かれる、ほんとに語りの達者な者たちによる演説その他は、人々の耳の周辺を行き来するだけにとどまって心にまではほとんど届かなくなってはいないでしょうか。自戒を込めて書いていますが、この時期には胸に手を当ててみる機会となります。人間性を高めていく努力を自らに課す力があってはじめて、人間社会を生きていく深い知恵、は蓄積されていくものと思われます。言葉を発信する側と受け取る側の双方が、相互にこうした意欲を持つこと。期待していきたいところです。